玉田圭司が回顧する選手の一体感と世代融合 2004年のアジアカップで自分を甦らせた言葉
「1次リーグの時は自分のプレーをまったく出せなかった。ジーコは使い続けてくれたけど、得点は取れてなかった。そんな自分が周りには悩んでるように見えたんだろうね。
ある時、アツ(三浦淳宏=現・ヴィッセル神戸GM)さんが『FWって90分の中で1点取ればいいんだよ』と声をかけてくれた。
それで気が楽になり、開き直れた部分がありましたね。
代表に入った直後も柏レイソルの先輩だった土肥洋一(現・レノファ山口GKコーチ)さんや藤田俊哉(現・日本代表強化部員)さんも気にかけてくれた。
やっぱりベテランの人たちのサポートは大きかったですね」と彼は若かりし日を述懐する。
こうして代表に定着した玉田は、順当に2006年ドイツワールドカップに参戦を果たす。だが、与えられた出番は第2戦・クロアチア戦(ニュルンベルク)の後半途中からと最終戦・ブラジル戦(ドルトムント)に先発出場した2試合だけ。
2戦目終了時点で日本は敗退濃厚で、ブラジル戦は2点差以上で勝たなければ16強入りできない状況に追い詰められていた。そこで玉田が前半34分に奪った先制点は世界を震撼させることになった。
「あの時は正直、まったく緊張しなかったね。ブラジル相手に自分がスタメンで出られるんだから、『もうやってやろう』という気持ちしかなかった。試合前も試合中もホントに楽しかった。得点もスーパーゴールかと言ったらそうじゃないかもしれないけど、あの舞台でブラジル相手に取ったというのが意味あることなのかなとは思います」
「玉田ゾーン」から決め続けたサッカー人生
稲本潤一(コンサドーレ札幌)が左に展開し、三都主アレサンドロが中に入れたボールを受けた玉田がペナルティエリア左隅をドリブルでえぐって左足を振り抜くというあのゴールは、前述のバーレーン戦の2点目と酷似している。
左45度からのシュートは「玉田ゾーン」と言ってもいい得意な形。それを彼はサッカー人生で幾度ともなく決めてきた。
「『玉田ゾーン』なんてないでしょ(笑)。でもあそこでボールを持ったら左アウトで運んで打つという自分の形はあるし、決められる自信もあるよ。ブラジル戦のゴールもその積み重ねから生まれたものだね」
日本ワールドカップ史に残る一撃を本人はこう振り返るが、あの1点がブラジルを本気にさせたのは言うまでもない。ロナウド、ジュニーニョ・ベルナンブカノ、ジウベルト・シウバに合計4点をたたき込まれ、終わってみると1-4の惨敗。世界のすごさを若き玉田も痛感さざるをえなかった。
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