42歳、元日本代表DF森岡がJ3監督で描く大志 今季の目標J2昇格、鳥取で愛されるクラブに
「1月17日から始動したけど、少し雪かきしたらまた雪が降ってグラウンドが使えなくなる。移動を含めて困難は多い。それを乗り越えないとJ2昇格はない。今年が勝負です」
元日本代表キャプテン・森岡隆三監督は鳥取で新たな苦難の道を歩んでいた。
僕はサッカーに携わらないと生きていけない
2008年末で現役生活にピリオドを打った元日本代表DFがセカンドキャリアとして選んだのが、指導者の道だった。
「2002年日韓ワールドカップでの天国と地獄を含めていろいろあったけど、やっぱり僕は何でもいいからサッカーに携わらないと生きていけない」と悟った末の選択であった。
2009年の京都トップチームコーチ就任から始まり、加藤久(前J1ジュビロ磐田GM:ゼネラルマネージャー)、秋田豊(現解説者)、大木武(現J2FC岐阜監督)という3人の指揮官の下、コーチとしてあるべき姿やノウハウを学びながら、Jリーグの監督になるために必要なJFA公認S級ライセンスを取得する。当時の教え子には日本代表の久保裕也(ベルギー=ヘント)やリオデジャネイロ五輪代表の原川力(J1サガン鳥栖)ら若手もいて、彼にとっては新たな発見の連続だった。
2014年は業務提携していたJFL(4部に相当)の佐川印刷京都のヘッドコーチを務め、京都に復帰した2015年、森岡監督はU−18(ユース)監督に就任。ついに監督業の一歩を踏み出す。2年目の2016年にはユース年代最高峰の大会である「高円宮杯プレミアリーグウエスト」でガンバ大阪ユースを率いていた宮本恒靖監督(現U−23監督)と対戦。
「フラット3対決」として注目を集めたが、惜しくも2戦2敗。本人も悔しさを味わったようだ。それでもJクラブのアカデミーが参加する「Jユースカップ」では3位に入り、大きな手ごたえをつかんだという。
京都の体制が急に変わり、契約満了となったのは、まさにそんな頃。指揮官としての仕事にやりがいを感じ始めていた矢先の出来事で、森岡監督も自らの身の振り方に悩んだ。
「他のJクラブからも、いろんなお話を頂きましたが、ガイナーレで強化部長を務めているトモ(吉野智行=元J1浦和レッズ)から『ウチで監督をやらないか』という誘いを受け、心が動きました。トモとは前々から面識があり、サッカー観も合う。ガイナーレは2011年から2013年までJ2にいたけど、その後はずっとJ3にいて、一からチームを作り上げていかないといけない。トモの熱意とクラブの掲げる『強小』という言葉にも惹かれました。小さくても強い、ジャイアントキリング! それはまさにサッカーの醍醐味の一つですから」と彼は言う。
とはいえ、2014年が4位、2015年が6位、2016年が15位とJ2昇格圏内の2位以内から年々遠のいているチームを立て直すのは容易ではなかった。最大のハードルが、地理的条件の難しさだった。
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