38歳、NYで「1人サーカス団」貫く彼の生き方

一度は夢破れて帰国したが好機はやって来た

高校卒業後、よしさんはアメリカ・カリフォルニアへ。ESLプログラム、カレッジを経て、ハンボルト州立大学に編入。学生生活を謳歌しながら、生活費を稼ぐために、ストリッパー、ヌードモデル、牧場で灌漑(かんがい)作業や、牛の睾丸を切り取る手伝いまで、ありとあらゆるバイトを経験した。

大学卒業後、OPT(Optional Practical Training=卒業後、1年間就労できるビザ)の期限終了まで半年を残し、ニューヨークへ。高い家賃を払ってブロードウェイの近くに住んでみたものの、家賃と生活費を稼ぐためのバイトに追われ、生活するだけで精一杯だった。

よしさんは、「ニューヨークの街中では、ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー、ユマ・サーマン、クレア・デインズ、ショーン・レノンなどの大スターも間近で見ることができました。刺激的でしたね」と振り返るが、俳優活動はまったくできないままビザが切れて、「ニューヨークに負けた」と悔しさを抱えながら帰国した。

団員は自分ひとり「東京サーカス」

帰国後は東京に住み、芸能事務所や劇団を回ってはみたが、結局どこにも所属せず。翻訳会社の社長に拾われ、スーツを着て出勤したこともあったが、ストレスで居眠りが止まらない。「パフォーマンスがしたい」「人を笑顔にする活動がしたい」という衝動を抑えきれず、「路上パフォーマンスなら、お金がなくてもひとりでできる」と思いつく。

この時に、自分につけた活動名が「東京サーカス」。サーカス団と言っても、団員はいないし、芸もなかった。あったのは「笑顔にしたい」という思いだけ。タキシードとシルクハットで、「あなたの笑顔は美しい」と書いたダンボールを持って代々木公園に立った。

ただ立っていても誰も笑ってくれないので、ジャズをかけながら何時間も腰を振り続けた。通行人を5秒で笑わせることができるパフォーマンスを生み出した。やがて、よしさんが全力で腰を振る姿を見て、「一緒にやりたい」と集まってきた若者が「団員」となり、半年後には「団員」が10名ほどになっていた。

ちょうどその頃、よしさんに、アメリカから「グリーンカードが当選した」という書類が届く。グリーンカードとはアメリカの永住権が得られる移住ビザ。よしさんは前回の帰国直前に、「いつかリベンジしてやる」という気持ちで、グリーンカードの申請をしていたのだ。

奇跡的にアメリカのグリーンカードを手にしたよしさんは、2007年夏に再びアメリカへ。グレイハウンド(長距離バス)に乗って、全米50州を巡り、各地でパフォーマンスをすることを決意。アメリカを相手に「みんなを笑顔にする」というミッションを遂行するためだ。

よしさんは、ほとんどの夜をバスの中で過ごしながら、半年間、各地で「Your smile is beautiful!」と書いたダンボールを持って腰を振り、チップを食費にして生き延びた。よしさんは、「治安の悪い場所も多く、巨大な男に絡まれるなど身の危険を感じたことも何度もあったし、半年もバスで寝ていると腰も痛くなるし。非常に過酷でしたね。一方で、ネイティブ・アメリカンのお祭に招待されて一緒に踊ったり、家に泊めてもらったり、温かく感動的な思い出もできました」という。

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