38歳、NYで「1人サーカス団」貫く彼の生き方 一度は夢破れて帰国したが好機はやって来た

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無事に50州でのパフォーマンスを終え、ニューヨークに戻ってきたよしさん。ニューヨークの高い家賃を払うために、路上パフォーマンスに加えてラーメン屋、本屋、デリバリーなどのバイトをしながら、俳優の夢もあきらめずに、オーディションを受け続けた。

2013年1月のある日、よしさんはフェイスブックに流れてきた知らせを見て愕然とした。カリフォルニアでお世話になった教授の奥さん、レベッカさんの訃報だった。レベッカさんは、よしさんが「アメリカの母」と慕っていた人だ。若いよしさんに、「人生で何を大事にするのか。自分で決めて、信念に沿って自分らしく生きなさい」と教えてくれたのもレベッカさんだった。

訃報から2カ月後、よしさんは、何かに突き動かされるようにニューヨークを離れ、追悼の旅に出た。レベッカさんと縁があった人々を訪ねながら、カリフォルニアのレベッカさんのお墓まで約6000kmを徒歩で横断。その様子をドキュメンタリー映画にまとめる『命の絆プロジェクト』のためだった。

6カ月後、心身ともにボロボロになりながらもカリフォルニアに到着したよしさんは、レベッカさんの遺骨の一部をもらい、2014年6月、今度は日本へ。「いつか日本を案内してね」と言っていたレベッカさんとの約束を果たすためだ。日本人として、日本の大地を踏みしめたいという思いもあった。

ちょんまげ侍の姿で「あなたの笑顔は美しい」と書いたのぼりを担ぎ、荷物を載せたベビーカーを押し、北海道宗谷岬から大阪までを4カ月かけて歩いた。いったんニューヨークに戻り、2015年5月から再び大阪を出発し、翌年1月に母親の待つ故郷長崎で、よしさんの旅は終わった。計1年以上(約8000km)の旅を振り返り、よしさんは「肉体的にも精神的にも、ギリギリの状態で歩く中で、スピリチュアルな体験を何度もした」という。実は、この旅は、よしさん自身の前世をたどる旅でもあったと思わざるを得ない体験もしたそうだ。

信念を貫けば、人生は開ける

今また、ニューヨークを拠点に活動しているよしさん。現在取り組んでいるのは、レベッカさんの追悼ドキュメンタリー『命の絆プロジェクト』およびよしさん自身の半生ドキュメンタリー『ヨシ~一緒に目を覚まそう!~』の2本の自主映画を完成させることだ。

「その先の目標は?」という問いには、「役者としてももっと活躍したい。そして、東京サーカスの劇場をニューヨークに作り、世界に笑顔を広げたい。もしも、苦しんでいる魂があるなら、笑いで救ってあげたい」。よしさんのミッションは、子どもの頃から一貫しているのだ。

よしさんの生活は、不安定にも見えるが、本人は「将来の不安はない」という。「いつも、ピンチの時には必要な物が手に入ったし、何かに生かされたと感じる経験もした。自分に正直に、信念を貫き、腹をくくって生きていれば、自分は大丈夫だと信じることができるのです。誰にでもできる腰振りだって、命をかける覚悟でやれば、世の中を変えることができるし、人生は開けるはず」。

今日も、よしさんはニューヨーク、あるいは世界のどこかで、命をかけてパフォーマンスをしている。「人を笑顔にしたい」という、ただその一心で。

鯰 美紀 インタビュアー&ライター

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なまず みき / Miki Namazu

兵庫県芦屋市出身、関西学院大学卒。関西経済連合会・国際部に5年間勤務し、結婚を機に退職。ワシントンD.C、北京、東京を経て2018年夏からニューヨーク在住。ライターとして、会社役員からメダリストまで、約3年間で250人以上を取材。企業パンフや専門誌などに幅広く執筆するほか、プロフィール作成等で個人事業主を応援している。公開インタビュアーとしても活動中。http://namazumiki.com

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