25歳「ムダなモノ」を作って稼ぐ彼女の生き方

面白さを追いながら新旧メディアの中を泳ぐ

生まれは神奈川県横浜市の戸塚区だった。父親は小さいデザイン会社を経営している。

「絵に描いたような中流家庭でしたね。『勉強しなさい』とはあまり言われなかったです。代わりに思いつきでいろいろな物を買い与えられました」

ギター&ベース、アコーディオン、コピック(マーカーペン)のセットなどを急に買ってきたり、ケーブルテレビを自由に見られるような環境にしてくれたという。

「今思えば、音楽や絵などいろいろやってみた経験が現在の活動に役に立っています。勉強以外の、無駄な知識はたくさん手に入れました」

自分から見て「バカだなぁ」と思う父も社長をやっている

小学校では“不思議ちゃん”の立ち位置だったという。クラスは和気あいあいとしていた。勉強は全然していなかったので、当然成績も良くなかったが焦りはなかったという。

「私から見て『バカだなぁ』って思う自分の父親でも社長になれるんだと思って。どれくらい儲かってるかわからないけど、おしゃれな車乗ってたし、アメリカにも連れて行ってくれました。こういう人でもお金を稼げるんなら、適当に好きなように生きればいいや、と思いました」

地元の中学校に進学したが、少し学校になじめなかった。朝起きるのが苦手で、よく遅刻をしていた。

「遅刻する時に申し訳なさそうにすると悪いことしてるみたいに見えるので、堂々と入るようにしてました。『実はアイツって才能あるんじゃない?』って思われたかったんだけど、『アイツ遅刻してるのに堂々としやがって』って悪口言われていたみたいです(笑)」

小学5年生からインターネットをやるようになり、中学校ではネットばかり見ていた。人気サイト「デイリーポータルZ」やオカルトサイト「X51.ORG」「2ちゃんねる」のオカルト板などをよく閲覧した。

ブログなどの文化が出始めてからは、実際に自分でもやってみた。

「ネットって独特の空気感があるので、テレビで人気の芸人さんがそのままのキャラでYouTubeをやってもよさが伝わりにくいことがあるんです。私はずっとネットをやってきたので、わりかしすぐに適応できました」

高校は美術系の科目のある学校に進学した。

「映画『冷静と情熱のあいだ』(中江功監督)を見て、美術の修復師になりたいと思ったんですよ。本当はアーティストになりたかった“目立ちたがり屋の自分”と“私なんてどうせ……という自信のない自分”がせめぎ合った結果、導き出された職業が美術修復師だったんですね」

もちろんデッサンの授業を選択し、初めてデッサンを描いた。初めての割にはうまく描けたと思ったが、先生は藤原さんの作品の講評はせずほかの人の作品だけを褒めた。

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