25歳「ムダなモノ」を作って稼ぐ彼女の生き方

面白さを追いながら新旧メディアの中を泳ぐ

「『ハチクロ(ハチミツとクローバー)』(羽海野チカ)にもあこがれていて美術大学も行きたいなあと思っていたんですけど、デッサンの最初の授業で『天才じゃなかったんだ!!』って気づかされてしまって……。心が折れて、デッサンの授業は行かなくなりました。美術の世界に進むのもあきらめてしまいました」

少し自暴自棄になってしまった。

授業を休んでも怒られない学校だったので、通学路を逆行して映画館に行ったりした。

「ぼーっとした高校生活を送っていましたね。唯一ハマったのがジャズ部でした。軽音部はイケイケ、吹奏楽部は熱血な感じがしたので避けてジャズ部に入りました。

すごいゆるい部活で楽しかったです。みんな下手なんだけど、どこかで発表するわけじゃないから自由に、うちうちでやっている感じでした。私はベースとかひいてました」

その頃、テレビを見てお笑いを好きになった。かなりハマって、お笑いコンビの「千鳥」が出演するテレビ番組を見るために大阪までわざわざ行ったこともあった。

お笑いのライブも観に行くようになった。

「最初は人気の芸人さんのライブに行っていたんですが、だんだんマイナーなライブにも行くようになりました。そうしたら、すごい面白くない芸人さんも出演していたんですよね。『こんなに面白くない人がライブに出られるんなら、私も出られるんじゃないか?』と思いました。今思えば、イヤな動機ですね(笑)」

自分でもお笑いをしたくなったが、“デッサンの授業”と同じようにスベったら立ち直れなくなるかもしれない……とも思った。

「デッサンの授業」のトラウマを乗り越えて

それでも自分の中の才能を信じたくて、お笑い芸人などのタレントを育成する養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」に入学した。

「1クラス50人で8クラスありました。東京だけじゃなくて大阪校などもあるので全部合わせればすごい人数です。NSC時代は、誰とも組まず1人でネタをやっていました。

『往年のギャグの中にはフリーメイソンのギャグが隠されている!! コマネチは六芒星のシルエットだ!!』

とかそういう内容でした」

居酒屋でアルバイトをしながら学校に通った。学校、アルバイト、ネタ作り……を繰り返す日々は楽しかったが、学校は1年制なのですぐに卒業となった。卒業後は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する芸人になった。

「同期には、ひょっこりはんやおばたのお兄さんがいるんですよ。同期の芸人がテレビに出ているのを見るのはうれしいですね!!」

卒業後は、渋谷にあるヨシモト∞ホールで開催される定期ライブに出演した。ヨシモト∞ホールは東京よしもとの若手芸人のみが出演する劇場だ。

「『もしアマゾンが縄文時代にあったら、こんなアマゾンレビューがつく』みたいなネタをやってましたね。本当に全然ウケなくて

『まあ、こんなもんだよね……』

って思いました」

ヨシモト∞ホールの定期ライブに出演するのは1年ほどで辞めてしまったが、辞める前に、YouTubeで『無駄づくり』を始めた。

「限定50組でYouTubeを始めることができるよしもとのプロジェクトでした。オーディションに出て選ばれました」

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