「探検家」の真実を一体どれだけ知ってますか 蘊蓄100章でたどる未知の開拓者たち

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81. 彼らは初めて犬そりを使用したが、その後もドイツ、スウェーデン、フランスなどが続々と遠征隊を送った

82. 1907年にイギリスは第四回目の遠征隊を派遣。このとき初めて隊長を務めたのがアーネスト・シャクルトンだ

83. シャクルトン隊の遠征はマクマード・サウンドを本拠地に、限定的に自動車も使用する近代的な探検だった

84. そこで彼らは南緯88度23分と最南端記録を更新し、南極点まで約175kmという地点まで迫った

南極探検隊の必需品はスコッチウイスキーだった!?

85. この遠征時にシャクルトン隊が使用した小屋から2006年、木箱に入った11本のウイスキーが発見された

シャクルトン隊が使用した小屋から木箱に入った11本のウイスキーが発見された(写真:GPixs/iStock)

86. いずれもスコッチウイスキー「マッキンレー」でニュージーランドの南極歴史遺産トラストが調査中に発見

87. そのうちの3本が、スコットランドにあるマッキンレーの製造元ホワイト・アンド・マッカイに送られた

88. 当時の醸造法の記録は残っていないため、製造元では各種モルトのブレンドを試み、その味の再現に成功した

89. 小屋の調査時、他にウイスキー2箱、ブランデー2箱も発見されたが、こちらはそのまま現地に眠っている

90. 日本が初めて南極に遠征隊を送ったのは、そのシャクルトン隊初遠征ののち1910年のことだった

91. 「日本南極探検隊」と名付けられた遠征を率いたのは、幼いころから極地探検に憧れた陸軍人・白瀬矗(のぶ)

92. 船は東郷平八郎によって〈開南丸〉と命名されたが、木造の帆船に中古の蒸気機関を取り付けたものだった

93. 極地輸送用に29頭の犬も乗船していたが航海中に多くが死亡。隊員との不和もあり白瀬の旅は困難を極める

94. 1912年、白瀬隊は欧州諸国以外では初めての南極探検隊として南極大陸に上陸。その地点を開南湾と命名した

95. しかし南極点の到達は難しく、南緯80度5分、西経156度37分の地点を〈大和雪原〉と名付け旗を掲げた

96. 世界を熱狂させた南極探検の英雄時代は、1914~1917年の帝国大陸横断探検隊(イギリス)をもって幕を閉じる

97. 南極から帰還した白瀬の講演を聞いた西堀栄三郎は1956~1957年に行われた「第一次南極観測隊」に参加

98. 南極は探検から観測する地に変わったが、西堀が提案した濃縮ウイスキーを持参する伝統はいまなお続く

99. 極地での気分転換と体を温めるためのものだが、輸送量をコンパクトにするため濃縮ウイスキーとなった

100. ドラム缶入りで運ばれ現地で瓶に小分けする。銘柄はサントリーやニッカなど年によってさまざまである

(文:森谷 美香/モノ・マガジン2018年12月2日号より転載)

参考文献・HP/「航海の歴史」(創元社)「世界探検家列伝」(ニュートンプレス)「世界探検家事典」(日外アソシエーツ)「極地に消えた人々」(白水社)「命がけの夢に生きた日本人」(青春出版社)「エンデュアランス号」(ソニーマガジンズ)ほか関連HP
モノ・マガジン編集部

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『モノ・マガジン』はワールドフォトプレス社が発行するモノ情報誌。原則、隔週で発行している。公式サイトhttp://www.monomagazine.com/

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