発行485万部の「古典の新訳」大ヒットの裏側 時代に合った選書と新訳で「現代作品」に

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彼らが称賛してやまないドストエフスキーの長編やフランスの19世紀文学の話をしていても本当に理解しているのかどうか、いささか疑問に思ったのも確かです。直訳調の難解な翻訳で海外の古典を読むことが、もてはやされた時代でした。

わが国で古典の新訳の刊行が静かに始まったのは20世紀の終わりでした。1990年にバブルが弾けても、私を含む多くの日本人はまだまだなんとかなるという感じをもっていました。しかし、1997年の山一証券の自主廃業や北海道拓殖銀行の破綻は、これからはまったく違う世界を生きていくのだという実感をもたらしたように思います。

翌年にはウインドウズ98が発売され、パソコンが職場や家庭に普通に入り込み、デジタルに関する知識が必須のものになるという予測が現実味をもって語られ始めました。

こういう時代に古典の新訳の刊行が始まったことは、ある意味必然だったと言えるでしょう。読んだふりをしていれば事足りた時代が終わり、本物の知識や教養を身に付けなければ、これから起こる変化を乗り切れないということを人々は敏感に察知していました。

この流れを受け止めて、きちんと内容を理解できる翻訳という試みを外国文学者、哲学者、編集者たちが始めたのです。また、翻訳のレベルが、資料や辞書の充実、ネットの発達に伴い飛躍的に上昇したことも、この機運が高まったことの背景にあるでしょう。

「新訳」知らしめた村上春樹訳サリンジャー

新訳という言葉が、広く知られるようになったのは、2003年に刊行された村上春樹訳のサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のおかげでした。野崎孝訳で親しまれてきた『ライ麦畑でつかまえて』という題名までも大胆に変更し、新しい訳文で読む作品は、まったく違うイメージを読者に提示することに成功しました。

この翻訳がもたらした衝撃は、想像以上に大きいものでした。この頃から新訳という言葉がしきりに使われるようになり、1990年代に登場した長谷川宏さんのヘーゲル哲学の数々の画期的な新訳と相まってブームとも呼べる動きが始まったのです。

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