多くの動物の感覚は、刺激の変化に鋭敏になるように進化している。カエルは、ゆっくり近づく蛇に気づかず、視界に飛び込む虫には強く反応する。人間も、生物としての特性上、動かぬ紙面より変化する画面により強く注意を引かれるのは、自然といえる。
スマホの利用者は、ぼーっとして注意が散漫になっているのではなく、スマホに集中してほかのことに意識を振り向ける余力がないように見受けられる。通話であれば、視野そのものに影響はないはずであるが、やはり視線が固定され周囲に配られなくなるということは、問題は視界だけでなく、意識そのものにあることを示唆している。
このような状態で歩行することが危険なのは明らかである。
ゾンビと当たり屋の不毛な戦い
さらに、現代では、偶発事故だけでなく、他人の意図によって生じるリスクもある。歩きスマホを行う者に、わざとぶつかる「当たり屋」が出現して話題になった。これには2類型がある。
1つは、歩きスマホを見ると、怒りが生じるため、膺懲(ようちょう)したくなって体当たりする者である。歩きスマホの女性を、ホームから線路に突き落とし重傷を負わせた疑いで、60代の男が逮捕されたとの報道があった。高齢男性を刺激するのは危険だ(筆者記事「『キレる60代の男たち』を減らしていく方法」)。これは、いわば暴力型の類型である。
いまひとつは、歩きスマホの人にぶつかり、自らが転んでケガしたり、携帯などを取り落としたりして、傷害や物損を被ったとして、賠償を要求する。これは詐欺型と言えよう。
「当たり屋」の存在は困った問題であるが、そもそも歩きスマホをしなければ防げることは明らかである。歩きスマホの自粛によって、根本的な解決が図られるのが望ましい。
さて、冒頭述べたとおり、この問題は英語では「ゾンビ」と呼ばれる。周囲の状況にお構いなく、ぶつかっても気にしないのでは、確かにゾンビ感が高い。国際的な問題なので、他国の対策を見ておくことも有益である。
1つは、禁止である。ルールを設け、罰則によって徹底を図る。ホノルルでは、道路横断中の歩行者がスマホを見ていた場合、初回なら35ドル、複数回違反すれば99ドルの罰金を科すことができるという(USA Todayの記事による)。罰金を科して禁止するのは、歩きたばこなどにも例があり、有効と思える。
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