結論から言うと、アユムさんからは半日かけても、系統立った話はほとんど聞くことができなかった。
ADHDの状態について尋ねると、いつのまにか診断してくれた医師の人柄について話している。かつての上司の外見を説明するのに、ある有名映画の登場人物に例えようとして、そのまま、その映画について語り続ける。質問の途中で、私のためにエアコンの温度を調整したり、飲み物を取ってこようとしたりする。
アユムさんは知識も語彙も豊富だった。しかし、話が一向に進まない。夕暮れが迫る中、私は途方に暮れた顔をしていたのだろうか。
「すみません。多弁で。こんなだから、この間の派遣の面接にも落ちるんですね。(精神科の)先生からも、しゃべりすぎだと言われてるんです」。アユムさんはそう言うと、いきなり砂時計を取り出し、「この砂が落ち切るまで、もう話しませんから」と宣言した。
自分ではどうすることもできない「周囲との違い」
そして、今度は突然、立ち上がり、書類の山から何かを探し始めた。しばらくして、戻ってくると、「これ、私の“取扱説明書”だと思ってください」と言って、小冊子を手渡してきた。
ある製薬会社が作った「大人の発達障害」という冊子には、ADHDの特徴として、「集中し続けることが難しい」「おしゃべりをしすぎることがある」「じっとしていることが苦手」などと記されていた。まさにアユムさんの振る舞いだった。
アユムさんは、自分が周囲と違うことを自覚している。しかし、自分ではどうすることもできないのだ。
九州出身。小さい頃からたびたびイジメに遭った。「河川敷で囲まれて金属バットで殴られる――。そんな毎日でした。よく生きてたなと思います」。高校生のとき、うつ病と診断された。両親から無理やり入院させられそうになったのは、この頃だという。
「この頃の記憶は途切れ途切れなんです。(高校卒業後)逃げるように東京に出てきました」
東京の私大を卒業、小学校教諭の資格を取り、国立大の大学院に進んだ。しかし、仕事は長続きしなかった。
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