そのツケを払うのが若者世代だ。こうした「つながりを求めるのは弱虫だ」といった昭和の「やせ我慢強制世代」の価値観を押し付けられて、「引きこもり」や「不登校」といった孤独に密接に絡んだ問題が、何の対策もなされぬまま放置されている。
今、日本には54万人(2015年、推定)の「引きこもり」がいると言われ、2015年度の全小中学生に占める不登校者の割合は1.26%と過去最多を記録した。こうした話を海外の人にすると、皆、なぜ、この状況が放置されているのか、と目を丸くして驚かれる。
その根本にあるのは、孤独を個人の問題ととらえ、人と人のつながりが、社会の基盤であるという認識が薄い中高年世代の価値観であろう。「一人でいいんだ」。学校に行けない子どもに対して、そういったメッセージが発信されることが多いが、それは「一人で我慢しなさい」というその場しのぎの突き放した物言いにも聞こえる。
誰もが「つながる」欲求と権利を持っている
つながり欲求は人間の根源的な生存の知恵である。「つながりたい」、でも、どうしたらいいのかわからない、居場所がない、そういう子どもたちに必要なのは、「君たちは決して一人ではない」というメッセージであり、彼らが安心してささやかなつながりをつくることができる居場所ではないだろうか。
人は誰もが「つながる」欲求と権利を持っているのである。個人や家庭にすべての責任を押し付け、画一的な学びの場しか提供できていない日本の教育現場の問題でもあり、社会として真剣に取り組むべき課題であろう。
不登校の子どもたち向けのフリースクール「東京シューレ」のスタッフでオルタナティブな学びの場について研究する朝倉景樹さんは「孤独がかっこいいなど、肯定的にとらえているのは、上の世代の話。10代は、その絶望的なつらさと日々、戦っており、『一人で生きていけ』というメッセージはまったく響かない。日本は1ミリの『ずれ』も許さない同調圧力の強い社会だからこそ、そこで我慢し、適応できない人をはじき出し、孤独な人を量産する仕組みになっている。何かあれば『自己責任』『我慢』で済ませようとする大人の犠牲になっているのが子どもたちだ」と語気を強める。
ひと時の「孤独」に向き合う力はもちろん、絶対的に必要だ。だからといって、人生100年時代に老後は20年でも30年でも「一人万歳」「回想にふけろ」「終活をしろ」などと、孤独を美化し、引きこもりを奨励する考え方に取りつかれているかぎり、不登校、高齢者や介護者、若者の孤独などの根本問題について、社会としての対策は一向に進まないのである。
世界各国が全速力でこの問題に取り組んでいる中で、手つかずの日本は押すに押されぬ「孤独大国」として”君臨”しつつある。これからの日本を担う世代に「世界一、不機嫌な社会」を遺産として残してはならないはずだ。
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