さて、最後に私の半生の振り返りの続きを。
前回は、2004年、私の在籍していた近鉄バファローズにネーミングライツ売買の報道が巻き起こったところまで、でした。
その命名権売買の話は発表直後になくなり、私自身2度目のリーグ優勝を目指してシーズンがスタートしたのですが、6月中旬に球団から、近鉄バファローズがオリックスに吸収合併されるという説明を、遠征先の福岡で受けました。
これまでプロ野球選手として生活してきて、球団の経営不振などによる会社の身売りは聞いたことがありましたが、吸収合併ってどういうこと?というのが率直な感想でした。
理由はこうです。
当時はパ・リーグの各球団が経営難に陥っていました。そこで、ファン動員も多く人気のあったセ・リーグに救済を求める、という意味と、あとはチーム数を減らして1リーグ化するという構想が、一部の球団オーナーの頭の中にあった。そのため、このような事態に陥っていったのです。
それまでは何事もなく近鉄バファローズの一員としてプレーしてきたのですが、この問題が表面化して以降、試合に出場しながら、一社会人、そして選手会長として、非常に深刻な問題に向き合っていかなければならなくなりました。
将来的なプロ野球の底下げになってしまうという危惧
合併問題に関していちばんに危惧したことは、まずプロ野球の球団数が減れば、それを目指してプレーをしているアマチュア野球選手を受け入れる先が減ること。
そして球団が合併してしまえば、2つのチームが1つになるわけで、現在いるチームの選手やスタッフも、行き場がなくなってしまうということ。
これらが私の中では気掛かりだったのです。
結果として、将来的にプロ野球界の底下げになってしまうのではないか、と。
6月中旬に問題が表面化したのち、プロ野球選手会としてもこの問題に対して12球団でいろいろ考え、協力していただいたことは、今思い起こしても感謝の気持ちしかありません。
まず選手会としては、いきなり次の年から合併するのではなく、合併を1年間凍結してもらい、その間に良い考えがないか探っていこう、ということを打ち出し、交渉していたのですが、経営者側の回答は「NO」。
そこで選手会としても、「12球団」の存続と、合併ではなく身売り(第三者による新規参入)を打ち立てて、経営者側と9月までの3カ月間、戦っていくことを決めたのです。
次回はその3カ月間で私を含めたプロ野球選手会が行ったことなどをお話ししたいと思います。
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