「災害報道」で問われるローカル局の存在価値 被災エリアの放送局が伝えるべき情報とは?
RCCはラ・テ兼営局だけあって、テレビにラジオの手法を活かしていたわけである。では、本物のラジオはどのように伝えたのか。
「真っ先に『僕らを利用してほしい』と言いました。『皆さんが情報を寄せてくれたら、それを僕らが出せるから。伝える場所を空けて待っている』って」(横山アナ)
その発言には、「インターネット上のデマを消したい」との気持ちも込められていた。横山アナは続ける。
「災害時には『メディアは伝えないけど、私だけは知っています』といった話がネット上を賑わせますよね。でも、この時期に私だけが知っている情報なんてあるわけがない。被害に遭われた方も、それを見て良い気持ちになりませんし。デマを流した人間を満足させる気はなかったので、皆さんが不安に思うことを一つひとつ取り上げて、白黒をハッキリさせていくことに努めました」
ローカルのラジオが持つ信頼感と、リスナーとの距離感を有効に活用したのである。
煽情的な報道ばかりの在京局に抱く不安
これらを踏まえたうえで、全国ネットのニュース番組を見ていると、真逆の作り方をしているように感じる。例えば、猛烈な風雨に晒されるレポーターの姿が、被災者にとってどれだけの意味を持つのだろうか。暴風によって屋根が吹き飛び、火花を上げて電線が切れる映像を流すことで、何を訴えたいのか。同じ国内で苦しんでいる人がいることよりも、芸能人のゴシップやスポーツ界の醜聞のほうが重要なのか。
助けを求めている人がいるときに、「どうして起きたのか」という分析は必要なのか。同じ時間と手間を使うのであれば、「どうすれば助けられるか」「その事態が起きたことによって、生活にどんな影響があるのか。その影響にどう対処したらいいのか」を放送すべきではないのだろうか。いたずらに感情を煽ろうとする映像に、多くの視聴者が辟易としているという事実を、そろそろ自覚すべきであろう。
そして、そんな番組ばかり作っている在京局を見ていると、とある不安が頭をよぎる。「東京や首都圏で大きな災害が起きたときに、有益な情報を提供できるのだろうか」と。
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