「自分の子を苦しめる親」に欠けている記憶 沢木耕太郎"「いのち」の記憶"より

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しかし、そのときの私には、自らが手を下して幼い子どもを傷つけたり、殺めたりする父親や母親がいる家庭のことはまったく視野に入っていなかった。そんな父親や母親が存在するのは遠い外国の社会、たとえばアメリカのような社会だろうというくらいに思っていた。

ところが、ここ数年、日本のさまざまな土地で幼い子どもへの虐待の存在が明らかになるにつれ、この国においてもその病根はすでにかなりの深さに達していることを認めざるをえなくなってきた。もしかしたら、家庭における最も悲痛な出来事とは幼い子どもに対する虐待であるのかもしれない、と思うほどに。

「いのち」を与えられた記憶が希薄な人たち

幼児ならともかく、学齢期にあるような子どもが、どうしてそれほど過酷な仕打ちを受けながら、逃げ出したり、誰かに告げたりしないのかという意見がある。だが、それは、たとえどのような親であれ、幼い子どもにとって親はつねに圧倒的な存在だということを考慮に入れていない浅薄な意見だと思われる。実際、私たちが幼かった頃のことを考えてみればいい。

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自分を取り囲む世界の中で父親や母親の存在がどれほど大きいものだったか。夜中にふと目が覚め、もしお父さんやお母さんが死んでしまったら自分はどうなるのだろう、と途方に暮れつつ思いをめぐらせたことはないだろうか。その父母に、さらに暴力が加われば、それは絶対的な存在になってしまう。幼い子どもたちに、自力でその引力圏から脱する勇気や知恵を持つことを求めるのは酷な話なのだ。

たぶん、子どもを虐待する父親や母親は、自分が親から「いのち」を与えられた記憶が希薄な人たちなのだろう。

親から「いのち」を与えられた記憶は、自分の子へ「いのち」を与える行為につながっていく。つまり、それは「いのち」をめぐる記憶の連鎖とでもいうべきものだ。もし、その記憶の連鎖が途切れたら、人間にとって何よりも大切なはずの「いのち」の連鎖もまた途絶えてしまうのかもしれない。

(2005年1月)

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