「息子は発達障害」栗原類を伸ばした母の信条 「いい親」でなく「子に最良の選択」が重要

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日本で子育てをしていると、「みんなと同じ」ことができないことを、責められることがよくあります。しかし、子どもは一人ひとり違うわけで、隣の子と同じことができることが、わが子にとってよいかどうかなんてわかりません。

そう言うのは、私自身が子育てや子どもの教育に関する知識を蓄えるように努め、その知識に沿ってじっくり考えるということを長年続けてきたからです。私は子どもの教育に関する記事や本をかたっぱしから読むようにしてきました。国内だけでなく世界各国の育児書も読んで、各国の育児や教育に関する教えや考え方なども学びました。

すると、日本では当たり前の育児が、ほかの国では誰もやっていないことがあるわけです。たとえば、冷えを気にするのは日本だけだとか、母乳に対する考え方も国によって違っていて、じゃあ、そんなに躍起になることもないよね?となるわけです。視野が広がると、自分の悩みはさまつなものであったと気づけるのです。

類が小学校3年生のころ、一時帰国の時に、近所の公立小学校の校長先生から「類くんだけ自分の名前が漢字で書けません」といわれたとき、間髪入れずに「でも、自分の名前をアルファベットで書ける子は類しかいないですよね」と、切り返して黙らせたことがあります。

そのコミュニケーションは、「いい親」とは思われないかもしれません。でも、私はふだんから子どものいい部分を見つける努力をしていたからこそ、その場ですぐに切り返すことができたのです。

「みんながやっているから」という理由で選択しない

かくいう私の子育ても、つねに順風満帆だったわけではありません。類は小学校1年生で留年していますし、中学では短期間ではありますが不登校を経験。高校受験も失敗し、その都度、思惑が外れたり、準備不足を反省することもありました。

そんななかで、私がつねに大切にしてきたのは、「みんながやっているから」という理由で、道を選択しないということです。たとえば、みんなは受験勉強を最優先させているけれど、類にとってはそれが最善の選択なのだろうか?と考えるのです。

発達障害の特性のひとつですが、類は好きなことは頑張れるけど、興味がないものにはなかなか集中できません。であれば、苦手な勉強をするために高い塾代を支払うよりも、親子でいろいろな国を訪れて、たくさんの文化や芸術に触れて、私が伝えられることを伝えていくことを優先したのです。

その選択肢が「みんなと同じ」でない場合、それをやり通すには勇気が必要です。だけど、私自身もシングルマザーとして息子をニューヨークで育てるなど、イレギュラーな人生を送ってきた結果、みんなと同じことをするのにまるでメリットを感じないのです。「みんなと同じ」を追求すると苦労するし損することが多かったのです。

同じことをしている中では、得意な人や上手な人との差がつきやすい。だけど、人がしていないことの中であればすぐに上位にいけます。すき間産業が儲かるように、仕事の世界では人にない発想や企画が求められるのに、子ども時代に「みんなと同じ」を求めるのはおかしいなと常日頃感じています。

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