「忘れられた国際条約」が果たした大きな役割

「旧世界秩序」は「新世界秩序」に転じた

そもそも、条約の条文にも不明確なところがあった。締結国の多くは、条約は加盟国の自衛権保持を認めていると受け止めたが、自衛権が何かは定義されていない。その解釈はおのおのに委ねられたし、と言わんばかりだった。アメリカ・イギリス両国は、アメリカのモンロー主義やイギリスの英連邦モンロー主義は自衛権に含まれると解釈した(西嶋美智子「戦間期の『戦争の違法化』と自衛権」、九大法学103号=2011年=74、九州大学学術情報リポジトリ)。

戦後、徐々に根付いた「新世界秩序」は、大戦の最大の勝利者であるアメリカの普遍的理念を濃厚に反映した。それが、アメリカの世界戦略にとって望ましい枠組みであり、アメリカの国益を内在させる設計であったことは疑いえない。ただ、その秩序が、ジョン・アイケンベリー米プリンストン大学教授が言うところの「ユーザー・フレンドリー」であったこともまた間違いない。そのことは、戦後の欧州の復興と欧州統合、アジアにおける日本、韓国、中国の「経済の奇跡」とこの地域における民主化の進展が証明している。

国々の興亡は、それぞれの国の個々の努力と国民の踏ん張りのありようにもよるが、より決定的な要素はそれぞれの国を取り巻く地政学的条件であり、国際環境の動態である。「新世界秩序」がもたらした安定した国際環境こそが、戦後の平和と繁栄を可能にしたのである。

確かにそれを可能にした背景には、核の抑止力による勢力均衡、アメリカ中心の同盟システム、GATTを軸とする自由貿易体制、そして民主主義の進展、といった要素を指摘することもできる。

ただ、それもこれも、連合軍が第2次世界大戦に勝利し、不戦条約以降枢軸国によって違法に奪取された領土のほとんどを返還させ、また、国際連合憲章で戦争と領土征服を禁止することを宣言してこそ始まったレジームだった。不戦条約がそうした「新世界秩序」の土台を用意したことの重要性を著者は強調する。

不戦条約は日本にとってどういう意味を持ったのか

ところで、日本では、不戦条約はどのように受け止められたのか。それは、日本にとってどういう意味を持ったのか。

1929年6月、日本政府は不戦条約を批准した。

ただ、政友会と民政党の国会での議論は、条約第一条のin the names of their respective peoplesをめぐって紛糾した。野党の民政党は、条約を「人民ノ名ニ於テ」厳粛に宣言するとの条文は、「大日本帝国憲法の天皇大権に抵触する」と田中義一政友会内閣を攻撃した。ことさら憲法論議に仕立てたのである。枢密院や右翼と一緒になって条約論議を党利党略に利用したことは明らかだった。

そこでは、世界の潮流が日本の平和の条件にどのような影響を及ぼすのか、それを日本の長期的な国益に資すべく日本からどのように世界に影響を与えるのか、というルール形成者としての戦略的視点は希薄だったし、発想も乏しかった。安全保障を一国主義的発想に基づく内政本位の関心に引き寄せて争点化する政治とメディアは、戦後も日本の安全保障論議の特徴であり続けている。

著者は、日本の条約批准は「外交的ジェスチャー」にすぎなかったと見る。日本は、パリの条約調印式を執り行う15大国の一員としての威信維持にのみこだわった、とするのである。

ただ、田中義一政友会政権は、対華強硬姿勢を示しつつも、同時に対華列強協調を志向しており、不戦条約をそのために援用しようと考えていたことも指摘しておくべきだろう。(大畑篤四郎『不戦条約と日本――田中外交の一側面』日本外交史の諸問題 ・ 1965年1965巻28号)

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