「忘れられた国際条約」が果たした大きな役割 「旧世界秩序」は「新世界秩序」に転じた

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不戦条約はこれまでの「旧世界秩序」の侵略も征服も領土拡張もそれらの権益を保持し、権利を擁護するのに、これからの「新世界秩序」ではそれを認めない。日本が「旧世界秩序」を支配するルールを必死に学び、それを自らの利益になるように使いこなすようになったとき、欧米はそのルールを書き換える。

近衛文麿が第1次世界大戦中に叫んだ「英米本位の平和主義を排す」との異議申し立ては、そうした世界秩序とルールをめぐる国際政治の最高位のハイ・ポリティックスにおける居場所と出番を見いだせない日本の無念でもあったが、日本は最後までその被害者意識にとらわれながら、それでいて世界秩序に対する自らのビジョンを明確に示しえないまま、開戦を選択したのだった。

確かに、世界秩序とは「旧世界秩序」だろうが、新世界秩序だろうが、支配国(単数あるいは複数)による秩序であり、それらの国々の国益を濃厚に反映することを免れない。

ただ、イギリス、アメリカ両国は、それを自国だけでなく世界の利益と福利に資する普遍的な概念として打ち出すよう努めた。両大戦間の国際秩序崩壊の本質をリアリストの怜悧な目で洞察したE.H.カーは、『危機の20年』の中でそのようなイギリス、アメリカを「英語人は彼らの自己中心の利益を公共の利益の装いにくるませて隠す芸にかけては達人であり、この種の偽善はアングロサクソン特有の特別なそして特徴的な特異性」と皮肉ったものである。

しかし、生身の国々がつくる世界秩序であってみれば、どの国も時にそのような偽善も必要悪と割り切り、ルールづくりに参画し、自他ともに生かす「開かれた国益」(enlightened self-interest)を追求してこそ秩序は形成されるのだろう。

日本に欠けていたのは、そのような積極的(プロアクティブ)な国際秩序構想であり、「開かれた国益」の追求だった。リットン調査団報告書反駁から国際連盟脱退へと日本は孤立に向かって逃走した。国会もメディアも被害者意識にとらわれ、当事者意識が希薄だった。日本は、国際主義者を人的にも 知的にも用意できなかった。

揺らぐ今日の「新世界秩序」

話を「旧世界秩序」と「新世界秩序」における戦争の思想のドラマに戻したい。

はたして、そのドラマは不戦条約を分岐点として「旧世界秩序」から「新世界秩序」への転換で幕となったのだろうか。

実は、21世紀に入って、第2幕が始まったのではないのか。

9.11テロ後、液状化するアラブ世界に登場したイスラム国(IS)のような原理主義・過激主義的潮流と、ロシアのクリミア併合や中国の南シナ海の国連海洋法違反といった地政学的勢力圏拡大の潮流が、戦後70年築いてきた「自由で、開かれた国際協調秩序(LIO)」を根底から揺さぶっている。

この過程で、紛争と戦争の性質が大きく変質しつつある。

まず、戦争が国家間から国家内での戦争へと拡散しつつある。人種、民族、宗教をめぐる武力紛争が各地で増大している。

次に、戦争が平時、戦時の境目なく、さらには軍人と民間人、官と民の区別なく、いわゆるグレーゾーンで不断に、起こりつつある。サイバーにおいては、アクティブ・ディフェンスによる常在戦場、つまりサイバー戦争状態が生まれている。

それから、国際政治における地政学と地経学の台頭。なかでも、アメリカと中国が経済制裁を地政学的目的のために一国主義的に使うようになった。米中貿易戦争はそれを象徴的に示している。

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