「忘れられた国際条約」が果たした大きな役割 「旧世界秩序」は「新世界秩序」に転じた

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その結果、生まれたのが1928年に締結されたパリ不戦条約である。

締結国は、この条約において、

・国際紛争解決のため戦争に訴えることは、違法である。

・国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決する。

ことを約束した。

著者は、グロティウスの「旧世界秩序」から不戦条約の「新世界秩序」への大転換がここで生まれたと主張する。

「旧世界秩序」では、戦争を起こした国を懲罰する手段としては唯一、戦争のみが合法であり、経済制裁は違法とされた。従って、中立国が交戦国に経済制裁を課すことは違法である。しかし、「新世界秩序」では、違法な戦争を行なう国に対して、経済制裁を用いて対抗することは合法である。

不戦条約を生み出すに当たっては、サーモン・レビンソン、ジェームズ・トムソン・ショットウェル、サムナー・ウェルズ、ハーシュ・ローターパクトといった一般には知られていない法律家や実務家の献身的な努力があった。この本は、「新世界秩序」の下で戦争をいかに法的に位置づけるかをめぐる思想のドラマであるとともに、これらの国際主義者に対する讃歌ともなっている。

1928年まで10カ月に一度の割合で侵略があった

皮肉なことに、不戦条約締結後、世界は一気に不安定になった。

戦争放棄を宣言したばかりの世界が、戦争を禁止する誓約を、戦争によって遵守させるわけにはいかない。かといって経済制裁も歯止めにはならない。国際連盟は無力だった。その後、日本の満州侵攻(1931年)、イタリアのエチオピア侵略(1935年)、ドイツのポーランド侵攻(1939年)と続き、世界は第2次世界大戦になだれ込んだ。大戦の死者は、7000万人に達した。

しかし、不戦条約の理念はその後のイギリス、アメリカの大西洋憲章(1941年)や国際連合憲章(1945年)に引き継がれる。第2次世界大戦は、最後は「旧世界秩序」と「新世界秩序」の戦争へと収斂していく。そして、不戦条約の思想的水脈は、ニュルンベルク軍事裁判におけるニュルンベルク原則(国際法廷が国家指導者個人の責任を裁く)へと結実する、と著者は主張する。

戦後の占領政策において、戦勝国は――ソ連を例外として――、日本とドイツをはじめとする枢軸国の領土割譲を求めなかった。戦後の冷戦時代、さらには冷戦後を通じて、侵略と征服による領土変更は激減した。

著者の調査では、1816年から2014年までの間に世界の領土変更は800件を超えた。このうち征服によるものは254件である。征服は、1928年までは平均で10カ月に一度起こったが、1948年以降は1000年に1、2度へと減った。2014年、世界はロシアのクリミア併合にショックを受けたが、不戦条約前の100年間、世界では毎年、クリミア半島11個分の領土が征服されてきたのである。

かくして戦後、世界は「長い平和」を享受した。

不戦条約は、伝統的なリアリストの観点からは、「魅惑的だが、無意味」(ヘンリー・キッシンジャー)とか「子どもじみた、まったくのこどもだまし」(ジョージ・ケナン)といったように、一蹴されてきた。

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