「忘れられた国際条約」が果たした大きな役割 「旧世界秩序」は「新世界秩序」に転じた

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日本は、列強と同じく、不戦条約は自衛権の行使を妨げないという解釈を取ったが、中国における日本国民の保護、満蒙権益の保全、満蒙治安の維持も広義の自衛権に含めた。自衛権の定義のあいまいさをよいことにそれを機会主義的に利用しようとしたのかもしれない。

しかし、1931年9月の満州事変とその後の展開が日本を一気に「ならず者」国家にしてしまった。

田中内閣の後に生まれた若槻礼次郎民政党政権は関東軍の暴走を追認した。関東軍は翌10月、張学良最後の拠点だった錦州を爆撃する。これは第1次世界大戦後初めての都市爆撃だったことから国際社会の強い非難を浴びた。政府は不拡大方針を唱えたが、軍部は独走し、12月、政権は瓦解した。

錦州爆撃を率いた関東軍参謀の石原莞爾は、この作戦を「国際連盟爆撃」と見立てた。関東軍は不戦条約の新世界秩序にあえて挑戦したのである。中国は、満州事変を国際連盟に提訴したが、そこでの論点の1つが不戦条約だった。だが、新聞は、不戦条約を批准した国としての義務に鈍感だったし、国際法に無関心だった。朝日新聞は、錦州占領について「平和の天使のごとく旭日を浴びて入城」「皇軍の威武により 満州、建設時代に入る」との提灯記事を掲載した。

「不戦条約に反する条約や協定は承認しない」

錦州爆撃に衝撃を受けた1人がアメリカのヘンリー・スティムソン国務長官だった。

スティムソンは、「不戦条約の条項と義務に反する手段によってもたらされたかもしれない事態や条約や協定を承認するつもりはない」とする方針を日中両国に通知した。それは後にスティムソン・ドクトリンと呼ばれることになる。

翌2月、国際連盟は、スティムソン・ドクトリンによる満州国の「不承認」は「連盟加盟国に課された義務である」との立場を取った。

著者は「連盟がスティムソン・ドクトリンを採用したことの重要性は、いくら強調してもしすぎることはない」と述べる。それをきっかけとして「旧世界秩序の解体と、新たな法体制の構築が始まった」のだと。

さらに、スティムソンはこのような侵略に対して、経済制裁を用いることの有用性を確信するに至る。

「経済制裁は、戦争への道ではなく、平和への道なのではないか」

「非合法征服に対してその法的効果を拒否するには経済制裁を課すのがカギだ」

このスティムソンの確信が、1941年7月の日本の南部仏印進駐に対するアメリカの対日石油全面禁輸発動を断行させる上で決定的に重要な要素となった。

真珠湾攻撃の数分後、野村吉三郎駐米大使はコーデル・ハル国務長官に会見し、覚書を手渡した。そこでは、アメリカ政府が、「武力による国際関係処理を排撃しつつ一方英帝国等と共に経済力による圧迫を加えつつある」と難じた後で、「しかる圧迫は場合によりては武力圧迫以上の非人道的行為にして国際関係処理の手段として排撃せらるべきものなり」と記していた。

日本の不満は、アメリカはモンロー・ドクトリンを享受しているのに、なぜ、日本はそれと同じドクトリンを満州で認められず、それどころかスティムソン・ドクトリンを突きつけられなければならないのか、という点にあった。

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