薩摩藩が「幕末最強組織」になった特異な理由 藩内には「徳川とは対等」という意識があった

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斉彬が先進的な事業を起こすことができたのは、当時の薩摩藩が海外情勢をいち早く入手できる環境にあったからだ。

江戸時代は完全に国交を閉ざしていたわけではなく、4つの窓口(対馬(つしま)・蝦夷(えぞ)・長崎・琉球)を通して諸外国と交流していた。なかでも琉球は薩摩藩の管轄下にあり、琉球を通して海外の情勢を知ることができた。薩摩藩も高い情報収集力を誇り、それが維新の礎にもなったのである。

理想に直進した長州藩、現実的な行動原理の薩摩藩

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また、薩摩隼人といえば、「チェスト!」の掛け声で勇猛果敢に挑むイメージがあるが、一方で、現実的で冷静な面もあった。長州藩は理想に向かって直進する傾向があったが、薩摩の場合はギリギリまで幕府とは表立っては対立せず、しっかりと力を蓄えた状態で戊辰(ぼしん)戦争に突入している。

薩摩藩士には尊王攘夷思想に傾倒する者も多かったが、藩首脳部はその暴発を抑え、幕府が推進する公武合体政策を支持した。そして、京都では会津藩と協力して長州藩の尊王攘夷派を追い出した。幕府と表立って敵対することなく、その内に入って影響力を強める画策をしたのだ。

理想に向かい直進する長州藩とは違って、むしろ薩摩藩には現実的な行動原理があったといえよう。着実に力をつけながら、薩長同盟の締結により、ついに幕府との力関係は逆転した。そして、倒幕へと動きだす。この冷静な行動が成功へとつながったのである。

(学びのポイント)尊王攘夷という無理な理想を追わず、現実の世界情勢を正しく認識。リアリズムに徹する対応をしたことが、近代化につながった

(教訓)理想だけを追う組織は危うい。地に足をつけたリアリストが社会を動かす
常井 宏平 編集・ライター

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とこい こうへい / Kouhei Tokoi

1981年茨城県生まれ。中央大学文学部社会学科卒。現在はフリーで活動しており、歴史やタウン系などの記事を執筆している。共著に『沿線格差 首都圏鉄道路線の知られざる通信簿』(SB新書)など。

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