88歳祖父の死に「おめでとう」と言う孫の真意 「笑顔の通夜」を実現したある家族の軌跡

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中屋敷は28歳のとき、2歳上の兄を腎臓がんで亡くしている。そのときと、今回の父の最期の印象はまったく違っていたという。

父の死と、当時30歳の兄の死の決定的な違い

「兄とはとても仲がよかったので、私が自宅と病院で合計1年間ほど付き添って看取りました。兄は最後に『ありがとう』と言ってくれましたが、私は『こちらこそ、ありがとう』とは返せませんでした。まだ30歳の兄の死を、認めたくない気持ちが強かったからです」

当時の中屋敷には、「死はつらいもの」という思いも強かった。兄が亡くなった際は、体の一部をもぎ取られたような痛みに襲われた。看病中は手や腕を何度もさすっていたが、遺体は神聖なものだと思っていて、亡くなった後は指一本触れられなかった。

以降30年近く兄のことを思い出す度に、中屋敷の心はちくちくと痛んだという。

「亡くなる前も後も、体に触れることで肯定的な言葉をかけられて、その人が自分の内側にいるという感覚が生まれ、喪失感が消えるんだと知っていれば、兄の死との向き合い方も全然違っていたんでしょうね」

彼女は今もとても残念そうに話す。

多くの人は「看取り」と言うと亡くなる当日、もしくはその瞬間のことだと思っているかもしれない。だが、看取り士の言う「看取り」とは、終末期の人と、家族がそれぞれに死を受け入れる過程のことを指す。

1人の死はその家族も死の恐怖に巻き込む。だから本人が死を受け入れる過程とは別に、家族も葛藤しながら、同じ過程を経験する必要がある。それができないと長い喪失感に苦しむことになる、と中屋敷は語る。

「父の場合、約2年の自宅療養と、その後の約1年の入院生活が、父と私たち家族それぞれの『看取り』だった気がしますね」

父の稔に、重い肺気腫が見つかったのは他界する約5年前。約3年前には呼吸困難で倒れて救急搬送された。以降は在宅での酸素機器の利用を選択。長さ約10mのチューブをつけたままで暮らしていた。

「大阪生まれの父は、チューブにつながれた自分を『なんか鎖につながれた飼い犬みたいやな』って、自虐ネタにして笑いを取ってました」(中屋敷)

だが、死の1年前、稔が何度か救急搬送されたのを機に、稔自身が入院生活を選択した。他界する半年前には、稔が敬愛していた絵画教室の先生が他界。その後、「夢枕に絵の師匠が出てきた」と何度か話すようになった。死期が近い前兆といわれる「お迎え」だ。

「すると、『絵を描くためにリハビリを頑張る』と話していた父が、私に突然ぽろっと『絵を描くのは、今世はもう無理やな』と口にしたんです。私が『そしたら、また、私のとこに生まれてきたらエエやん』って返したら、『そやな、ほな、そうしようか』って、明るく笑ったんです」

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