「全盲と弱視」それでも彼女が明るく笑うワケ

小2からの寮生活、上京、そして仕事と恋

視覚に障害を抱えるようになった松田さんだったが、母は決して甘やかそうとしなかったという。

おしゃれやメイクにもこだわりの強い松田さん。楽しんでいることが伝わってくる(撮影:尾形文繁)

「普通の人でも生きていると大変なことがあります。けれど私は、さらにハンディを背負って生きなければいけなくなった。だからこそ、一人の人として自立してほしい、という気持ちが母にあったのでしょうね。何かあっても誰も助けてくれないよ、一人で解決しなさい、と小さいころから言われてきました」

小学校2年生になると、松田さんは親元を離れて生活することになる。盲学校の小学部に入学し、学校に隣接する寄宿舎で、同じく視覚障害を持った子どもたちと4人で共同生活を送るようになったのだ。

掃除や洗濯、アイロンがけや布団の出し入れまで、家事はすべて自分たちでこなした。4人のうち2人は松田さんより年下だったため、面倒を見る必要もあった。厳しい母親のもとで育ったとはいえ、これまでは守られる立場だった松田さんが、守る立場になったのだ。支えてくれる家族も近くにおらず、松田さんは毎日のようにさみしさを感じていたという。

「できないふりをするな」という担任の言葉

転機が訪れたのは小6のとき。担任である原田先生の「できないふりをするな」という言葉だった。しっかり者であることが求められる環境だったが、一方どこかではハンディがあることを理由に、周囲の大人に甘えたり、言い訳したり、嫌いな教科の勉強をしなかったりしていた松田さんに、その言葉は突き刺さった。

「それまではぬるま湯に浸かったような状態にあって。自分の実力を出せばもっと頑張れるのに、手を抜くという。面倒くさいし大変だからいいか、このくらいやっとけばいいだろ、みたいな。それを見抜かれたのでしょうね」

先生が言いつけたのは、車での送迎の禁止。寄宿舎での暮らしは、週末のみ実家に帰ることができた。その際、約1時間半の道のりを、知人が車で送り迎えしていたが、一人で電車に乗ることになった。

松田さんは手術の影響で、右足に麻痺が残っている。しかも持ち歩く教科書は、視力が悪い人向けの拡大版。全教科合わせて10キロにもなる。帰宅ラッシュのなか、階段を上り下りし、乗り換えもしなくてはいけない。事故が起きてはいけないと、厳しかった母親もさすがに反対したが、先生は有無を言わさなかったという。しかしその決断が、自分を進歩させてくれたと松田さんは振り返る。

「中学生になる前に免疫をつけておかなかったら知らないよ、って言われたんです。やるしかないという状態でした。今となっては何でもないことも、当時は全然できない子どもでした。そのなかの電車に乗るっていうハードルを、先生のおかげで超えられましたね」

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