安倍首相自身の単独リーダーシップの強調は、日本向けのメッセージだけでなく、国際メッセージとなったと言える。筆者は、ホワイトハウスでの記者会見は4月のフロリダでの日米首脳会談とセットで考えると、安倍首相の6月訪米は、日本にとっても、拉致問題にとっても、不必要だったという気がしてならない。
なぜなら、拉致問題をめぐって、その主導権がトランプ大統領から安倍首相にバトンタッチされた格好になってからしばらくすると、それまで、「拉致問題は解決済み」というメッセージを完全封印していた北朝鮮側が、そのメッセージを繰り返すようになってきたからである。
トランプ大統領は、シンガポールでの米朝首脳会談で拉致問題を持ち出している。すでに4月のフロリダでの日米首脳会談で、拉致問題を取り上げると明言していたことを実行したわけだ。金正恩氏も、「拉致問題は解決済み」とは言わなかった。つまり、その「成果」を生んだのは、安倍首相ではなくトランプ大統領だったのだ。
それなのに、ホワイトハウスの記者会見での、安倍首相の単独リーダーシップ発言によって、シンガポール米朝首脳会談後、拉致問題はトランプ大統領から安倍首相にバトンタッチされ、今に至っている。今後、拉致問題がどうなるか。それは、神のみぞ知る、である。
「外交」と「ネゴシエーション」は似て非なるもの
今の段階で筆者が疑問に感じるのは、トランプ大統領と安倍首相との関係は、本当に、深く語り合えるものなのかどうかである。安倍首相は、国際ネゴシエーションの現代的な価値を、トランプ大統領ほどには、十二分に理解していないのではないか。「外交」と「ネゴシエーション」は似て非なるところがある。
そもそも米国では、「外交」は2つの主役カテゴリーに分かれる。1つは、外交大学院卒のプロフェッショナルたちであり、もう1つは、ロースクールから政府弁護士という形で、国務省に入った外交エリートたちである。後者のほうが多いといえよう。
それに対して、「ネゴシエーション」は、伝統的にロースクールの専売特許である。なぜなら、「ネゴシエーション」は「訴訟」科目の一部として、ロースクールで伝統的に教えられてきたからだ。「ネゴシエーション」は、優れて「訴訟」の一部というのが、米国の伝統なのである。
トランプ大統領自身は、不動産王として数々の訴訟とネゴシエーションの修羅場をくぐってきた。だからこそ、ウォ―ル街では、長年、トランプ大統領をネゴシエーションの天才と高く評価してきている。
そのトランプ大統領の「ネゴシエーション」力が、今後は発揮できないことになる。7月8日の安倍首相とマイク・ポンペオ国務長官との会見は、あくまでも「外交」であり、「ネゴシエーション」ではない。
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