まちを歩けば、「縄文時代」の暮らしにあたる

貝塚など地層を剥ぎ取る「造形保存」の世界

小金井市にある森山さんの工房にて(撮影:田附勝)
博物館や史跡などに展示されている、縄文集落の復元や貝塚の地層断面。私たちが縄文時代の人々の暮らし、あるいは空気そのものを実感できるのは、そうやって貴重な資料が保存されているからだ。遺跡の「造形保存」を手がける世界的な第一人者、森山哲和さんの工房を訪れた。

考えてみれば当たり前なのだが、縄文時代の遺跡はすべて地中に埋まっていたものだ。それが掘り出され、博物館や史跡、公園に保存、再生されてようやく、私たちは縄文の息吹に直に触れることができる。研究や教育の普及のためにも、保存は極めて重要なプロセスなのだ。その保存技術の第一人者が、森山哲和さんだ。今回、小金井市にある森山さんの工房を訪れる貴重な機会を得た。

工房の前で、森山さんは温かく私たちを迎えてくれた。中に入るとまず目に入るのが、茶を点てるために切られた炉。茶室を設えたわけではなく、国分寺市にある恋ヶ窪遺跡の縄文人の生活跡を再現したものだ。縄文人の暮らしと現代の茶の湯が不思議につながる。

「利休も縄文を知っていたんじゃないか、と思うことがあります。利休は大阪の堺に生まれた。堺市には四ツ池遺跡という大きな遺跡がありますから」

遺構自体や地層を三次元的に保存する

森山さんが実践し、考古学の分野に多大なる功績を残してきたのが「造形保存」だ。造形保存とは一体何か?

本記事は『東京人』2018年8月号(7月3日発売)より一部を転載しています(書影をクリックするとアマゾンのページにジャンプします)

遺跡発掘では元来、「記録」が調査の中心だった。土器や石器、動物の骨などの遺物は取り出すが、それ以外は写真を撮り、実測図を残し、文章に書き起こすという二次元的記録に限られてきたのだ。しかし森山さんは、遺構そのもの、遺跡がある空間そのものを保存することの重要性を唱え、自らの力でそれを成功させてきた。本来なら即物資料として残せず消滅してしまう遺構自体や地層を「留消遺物」ととらえ、三次元的に保存する。それが森山さんの「造形保存」の概念だ。

「造形保存に取り組んだのは、伊皿子貝塚あたりが最初だったと思います」

伊皿子貝塚は東京都港区三田にあり、約4000年前、縄文時代後期の敷石住居跡と貝塚、加えて弥生時代中期の方形周溝墓なども発見された大規模な遺跡だ。NTTデータ三田ビルの建設に際して、1978年から1979年にかけて本格的に発掘調査された。

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