まちを歩けば、「縄文時代」の暮らしにあたる 貝塚など地層を剥ぎ取る「造形保存」の世界
「例えばミケランジェロは彫刻を彫るとき、石自体を切り出しますよね。遺構そのものを遺す造形保存の考え方は、それと共通しています。私が学んできた美術と考古学が結びついたんですね」
接状剥離で使用する薬品や道具の素材も、たった1人で研究を重ねた。薬品については、企業の研究所などにも通ったという。
「いろいろな企業の研究所に相談しました。造形保存について説明すると、多くの方が協力してくださいました。なかでもトンネルを掘削するときに使用する薬品がとても土と相性のいいことがわかり、それを基本の接状剤としています。でも土の状態は遺跡によって違いますから、それに合わせて毎回いくつかの薬品をブレンドしています」
すべては経験値から導き出される高等技術だ。「これ、今度のイスラエルでの発掘調査で使用する薬品のセットです」と、森山さんは工房の入り口付近にさりげなく置いてある一斗缶を指差す。
当然といえば当然なのだが、森山さんの造形保存は日本国内にとどまるはずもない。世界各地の発掘現場に請われ、さらに考古学だけでなく、地質学など自然科学の分野でも活躍している。アフリカの岩盤や砂漠の中の遺跡、保存が難しければ難しいほど「森山さんでなければ」と依頼を受ける。例えば神奈川県立生命の星・地球博物館の設立にあたってのこと。
「どうしても展示に入れたいと頼まれ、アフリカのジブチで50度の熱砂の中、原住民アファール族達にあきれ顔されながら保存した、トラバーチン。これがまったく取れなくて、一番苦労した作業だったかもしれません」
日本最大級・加曽利貝塚の貝層断面も保存
日本全国、世界各地の造形保存に携わってきた森山さんだが、印象深い東京近郊の縄文遺跡を訊いてみた。第1は、やはり千葉県千葉市にある加曽利貝塚だ。
「日本最大級の貝塚で、昨年、貝塚として初めて国の特別史跡に指定されました。世界的に見ても最高峰といえる遺跡です」
加曽利貝塚では、約7000年前の縄文人の住居跡や、約5000年前の縄文中期から約3000年前の縄文後期まで続く貝塚が発見されている。北貝塚と南貝塚があり、森山さんは25年ほど前に南貝塚の貝層断面を接状剥離した。
「トレンチ工法で地層を溝状に掘り、両側の断面に接状剤を3回塗布して剥ぎ取りました。伊皿子貝塚もそうなんですが、貝層は貝の凹凸があるので非常に難しいんですね。剥ぎ取った両断面は、裏側が見えていますよね。だから、左右を入れ替えて置くとちょうど原位置再生できます」
こうして造形保存されたものは、南貝塚の貝層断面観覧施設で見ることができる。地層の中のトンネルを歩くような構造になっており、保存状態も大変良好。最大2mを超える厚さに堆積した貝殻を間近で観察できる。
続いては、港区虎ノ門、東京タワーのそばで発見された西久保八幡貝塚だ。
「名前のとおり西久保八幡神社の境内にあって、1983年に調査を実施しました。これも接状剥離です。焼夷弾も出てきて、崖っぷちみたいな場所での作業で大変でした」
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