「乙武がモテるなら俺だってモテる」の危うさ 「障害者」というグルーピングは変だ
乙武:2017年に1年ほど掛けて世界各地を旅した際にはフランスも行きました。フランスは、子どもがどんなに小さかろうが人に預けて、週に1度は夫婦でデートをするというのが文化。日本で、「子どもを預けて夫婦でデートなんてとんでもない」と炎上案件になるなんていうのは、フランスからしたら信じられないと思うんです。
話は戻るんですけれども、障害がある人の結婚、出産、子育てというのは、障壁があると思うんです。なぜなら、「お前らの判断で結婚を決断し、お前らの判断・責任で子どもを産んだんなら、お前らでやれよ。やれないなら結婚すんなよ」って言われたら、それはやっぱり難しいですよ、障害があると。
各家庭のキャパシティーは違って当然なんだから、足りないところは、それはご近所でできるならご近所で、ご近所でもできないなら公的に、「自助・共助・公助」じゃないですけれども、そういうかたちで助けていくというシステムも、きちんと普及させていかないと、とくに結婚、出産、子育てというところは、障害者にとって依然として困難になっていくと思います。
安部:キャパシティー論になると、多分キャパシティー100%の家庭って、実際にはほとんどないんですよね。
共働きだってキャパシティー落とすし、ひとり親だってそうだし、何かうまくいかないっていうことは絶対ある。その考え方で言うと、「障害者」だけにフォーカスするんじゃなくて、障害もあれば、お金がないとか、介護が必要とか、各家庭いろんな問題がありますよねという議論をすべきですよね。
乙武:ただ、障害者というとマイノリティーの問題になるので、マジョリティーの方々にとっては、「自己責任でしょ」「別にこいつらが結婚する必要はないんじゃない」という考えがあるかもしれない。
ここ数カ月、旧優生保護法で子どもを産む能力を奪われてしまった人々が、今になってあれは国のおかしな判断であるということで訴訟を起こしています。
あのニュースに対するネット上の反応というものは、ほぼ100%「当然でしょ、国の判断は」というものです。「お前らに子どもを生み育てる能力なんか、物理的にも金銭的にもないんだから、子どもを産めない体になるのは致し方のないことなんじゃない」というコメントが、ほぼ100%なんですよ。
安部:いやー。やばいっすね。
乙武:そういう現状の中では、障害者にとって、結婚、出産、子育てというものが難しいとなるのは、現実としては受け止めざるを得ない。
「責任が取れないなら産むな」の背景
乙武:僕は、今回ロンドンに3カ月滞在して、障害者団体に取材もしました。その中で、海外での「ヒューマンライツ」という言葉の響きと、日本でそれをそのまま直訳した「人権」という言葉の響きが明らかに異なることに気付かされた。
日本では、特定の政党が、自分たちの主張の看板に使い続けてきたことによって、人権という、本来最も大切にされなければならないことが、特定の政党の金科玉条と受け止められ、ちょっとうさんくさい、手垢のついたものになってしまった。これは誰が悪いということではないのですが、大きな違いを生んでしまっているなという風に感じました。これは何とかしなければならないなと考えています。