「乙武がモテるなら俺だってモテる」の危うさ 「障害者」というグルーピングは変だ
安部:「障害」でグルーピングしたり共通性を見出したりして、「私もいけるかも!」となっちゃうのは危ういかもしれない。
それは確かにそうだと思います。そうなんだけれども、何かそういうきっかけがないと、勘違いをして行動を起こせないっていうのも事実なんですよね。今回の乙武さんの騒動は、その「きっかけ」という側面もあったのかなと。
これは別に障害に限った話じゃなくて、社会問題を扱うっていうことは、何かのラベルを貼るわけですよね、グループに対して。
例えば、ゲイの人がいました。「ゲイ」というラベリングじゃなくて、「Aさん」というのがまず先にあるはずなんだけど、一方でそのラベリングをすることによって、活動が大きくなる。
障害について言うと、ラベリングがあって、サポートがされるべきっていう国民合意がないと、税金が投入されて問題解決につながらない場合もあると。ラベリングがないと変わっていかないところもある。
そこはまさに、多分乙武さん自身がいちばん分かってるんですよね。その「障害者」というラベリングの抱える矛盾。一方で、それも使わないと、実際に何かビハインドがある人たちを支える状況にならないところの難しさ。それを指摘してもらったのだと思いました。
「私が前向きな人間に育ったのは、両親のおかげ」
乙武:ただ、唯一これはちょっとうれしかったというか、前向きに捉えてもいいのかなと思ったのは、障害当事者ではなく、障害のある、まだ本当に小さなお子さんを持ったお母様方から「希望が持てた」という反応があったことです。
「自分の子どもは、将来お付き合いや恋愛というものとは縁のないものだと思って諦めていたけれども、乙武さんの報道を見て、もちろん倫理的には良くないことなのかもしれませんが、我が子を育てる上では非常に勇気が持てました、希望が持てました」というようなお声は、実は結構頂いて。
さっき僕が危惧した当事者の考え方と、親御さんの考え方、そこに何の違いがあるのか。「自分を卑下してしまう障害者をどうやってなくすか」という意味では、親御さんの子どもに対する態度というのが非常に大きいと思うんです。
安部:本当その通りですよね。
乙武:僕がなぜこんなに、鼻持ちならないほど前向きな人間に育ったかというと、それは僕の障害ということを決して悲観することなく、前向きに朗らかに育ててくれた両親のおかげだと心から感謝をしています。
僕の今回のお恥ずかしい報道によって、希望を持ったという親御さんが増えて、そのお子さんに対する接し方、育て方に何かプラスの影響を与えられたんだとすれば、結果的に良かった部分もね……。
なんて言ったらいいんだろう。望んでいたわけではなかったとはいえ、そういった副次的な効果もあったのかなという風には捉えました。