わからないことが許せないという「バカの壁」 養老孟司×新井紀子「バカの壁」対談<下>

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

養老:だから、ネットの世界だけでなく、むしろ実体の世界も同じようにシミュレーションになっているんですね。ほんとの自然とまで言うつもりはありませんが、もうちょっと、シミュレーションじゃなくて、そういうものを剥いだ生の五感、感覚を使ってほしいということを『遺言。』(2017年、新潮新書)という本に書きました。

動物と人間の違いはそこにあります。動物は感覚で生きていますから、一般化できません。それをぼくは「『同じ』がわからない」と書いたんですけどね。まあ、スマートフォン見てても視覚は使いますけどね。でも、自然の中で使っている視覚とは全然違う。

新井:視覚と聴覚に重きが置かれ過ぎてますよね。五感のうち二覚しか使っていないのはおかしいと思います。二覚しか使っていない世界が、五感を使う世界と同じわけがないのに、なぜそれを同じだと思ってしまうのかが理解できません。

「食べログ」なんかその典型ですね。地方に行ってなんかおいしいものを食べよう。「食べログ」見てみよう。そしたら、結構上のほうに、チェーン店の牛丼屋さんとかファミレスがランキングされてます。せっかく地方に来たのにどうしてチェーン店って。食べなきゃいいだけですけどね。

だいたい、食べ物に点数を付けて、それを参考にしようっていうのが、生き物として終わっていると思います。自分の嗅覚で探さなきゃダメだと思うんですよ。評価の星の数が多いところで食べておいしい気持ちになっちゃうこと自体、生き物として終わりです。それが、五感を削いでいることに気が付かない。生き物として悲しい。

養老:関連しているかわかりませんが、成熟ということをあまり考えなくなったような気がしますね。大人になるってどういうことかとか。だから成人式が荒れるんでしょ。

新井:めでたいとも思ってないし。

養老:そうなんです。式を主催するほうも新成人も、どっちも大人になるとはどういうことかわからないまんまだから、意味がなくなった。だから荒れる。大人になるとはどういうことか、成熟とは何かというのは、たまに考えなきゃいけませんね。独り立ちして自分でものを考える。責任を持って物事をする。それができる。できたということで順繰り大人になっていくということでしょう、たぶん。

わからないことが面白い

新井:小学校の算数では三角形と平行四辺形、台形、円の面積の求め方を習いますけど、私は、そこで終わらせないでほしいと思うんです。世の中には他にもいろんな形があって、小学校の算数では測れないものもあります。

運動場のトラックは測れない、琵琶湖の面積も測れません。高校や大学の数学なら測れます。でも、そういうことは教えないんです。学校って、何でもできなきゃいけないんです。これができた、あれができた、って。そして、できるようにするんです。できた生徒が優秀なんです。

できる話ってつまらないんです。憶えるだけですから。でも、できないこともたくさんあります。今はできないけど、高校生になったらできるようになることもある。その一方で、大学の先生にもわからないことがある。

科学なんてたいしたことないんです。物質は温度で体積が変わりますが、水だと摂氏4度あたりでいちばん体積が小さくなります。でも、なぜそうなるのかはわかっていません。そんなものです。できることを教えた後で、そういうことも教えていただきたいと思います。今できないことが、大人になっていくとできるようになる楽しみとか、世の中にはわからないことが沢山あるというようなことです。

虫の世界にもそういうことってありませんか。

養老:虫の長さを測るだけも難しいですよ。図鑑を見ると簡単に体長何ミリって書いてありますけどね。だいたい、関節は伸びますからね。固まったら曲がっちゃうし。だから、頭と胸と全部バラして一個一個測るんです。それでも測定誤差があります。何回脱皮するかでも体長は変わります。7回脱皮した虫はでかいんだけど6回の虫は小さい。だから、正規分布にはなりません。ならないのがテーマなんです。ぼくの学位論文それですから。

新井:正規分布になるって、みんな信じてますよ。

養老:なるはずないんです。

新井:だから、できないとか、わからないのが面白いんですよね。AI研究の世界では、人間の脳のシステムが解明されて、それを応用すればAIが人間の脳を超える日が来るなんてことを大真面目に信じている人がいますけど、虫の長さだって測れないのに、人間の脳が解明できるはずがないですよね。勘弁してくださいよって感じです。もっと、わからないことを面白がらないといけませんね。

(構成:岩本 宣明)

養老 孟司 解剖学者

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

ようろう たけし / Takeshi Youro

1937年鎌倉市生まれ。東京大学医学部を卒業後、解剖学教室に入る。東京大学大学院医学系研究科基礎医学専攻博士課程を修了。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。東京大学名誉教授。『からだの見方』(筑摩書房、1988年)『唯脳論』(青土社、1989年)など著書多数。最新刊は『ものがわかるということ』(祥伝社、2023年)

この著者の記事一覧はこちら
新井 紀子 数学者

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

あらい のりこ / Noriko Arai

国立情報学研究所教授、同社会共有知研究センター長。一般社団法人「教育のための科学研究所」代表理事・所長。
東京都出身。一橋大学法学部およびイリノイ大学数学科卒業、イリノイ大学5年一貫制大学院を経て、東京工業大学より博士(理学)を取得。専門は数理論理学。2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクタを務める。2016年より読解力を診断する「リーディングスキルテスト」の研究開発を主導。主著に『数学は言葉』(東京図書)、『ロボットは東大に入れるか』(新曜社)、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)などがある。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事