だから、じっくり話を聞いていても、なにを言いたいのかがわからない。日ごろ、まともな話をしていないからだ。
加えて老人や年寄り、先輩は、若者のこういう実態を知らないから、話すより聞くことが大事と思い込み、黙り込み、話す力のない若者の話に辛抱強く耳を傾けている。要点をつかまなくても聞いてもらえるとなれば、若者の「話す力」は、ますます衰えていく一方だ。
加えて若い者も、自分の「話す力」不足を棚に上げて、年長者、年寄り、老人が自分の話の返事に、「どうも、しっくりしないなあ。ピントがはずれているんじゃないか」「あの人たちの考えは古い」「あいまいな返事で煙に巻こうとしている」と、心のなかで軽蔑している。
遮ってでも自分の話を滔々とするべし
もうこうなれば、悟り顔で「聞くことが大事」「耳は二つ、口は一つ」などと言っている場合ではない。むしろ、率先して、人生のベテラン勢、アナログ勢が話しまくり、しゃべりまくり、「話とはこういうものなのだ」「話し方は、このようにすべきだ」と、「話し方」のサンプルを見せなければならないのではないか。
若者たちのとりとめのない話を遮ってでも、自分の話をとうとうと話すべし。それが若者に「話し方」の範を示すことになり、それが年長者の果たすべき役割だと心得ておきたい。
値打ちのある話を相手がするときには黙って聞くほうがいいが、話し方を知らない、相撲のとり方を知らない相手の話は聞いていても無駄。そう見極めたら、相手の話を聞く必要はない。時間の無駄である。
50歳を過ぎたら、おしゃべりになれ。
60歳を過ぎたら、まとまりのない話をする若者の話を聞くな。
70歳を過ぎたら、相手の話を遮ってでもしゃべるべきだ。
どうせ耳も遠くなることだし、およそ年寄りが聞き役に回って、ニコニコしている必要はないということである。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら