北海道から見える日本の産科医療の重大危機 過疎地で医師集めに苦闘する自治体の切望

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そして2016年に実施された第1回目では1人、その次年度に行われた第2回目の発送ではもう1人と合計2人の産科医を遠軽に呼ぶことに成功した。

最初に遠軽に来た石川雅嗣医師は、手紙を受け取った当時、旭川市の産科クリニックに勤務していた50代の産科医だった。子どもも独り立ちし、自分が今後の働き方を模索していた時期だったので、手紙を読んだ時、瞬時に心が動いたという。

実は、石川医師は、妻が、たまたま遠軽のコスモスフェスタへ観光に行っていた。そこで署名活動を目の当たりにし、帰宅後、夫に「あなたが遠軽に行ったらどうか」とすすめていたという伏線があった。

第1回目のダイレクトメール7654通に対して、赴任の意志を示してきたのは全国で石川医師ただ1人だった。その1人であったことについて、石川医師自身はこう言う。

遠軽にやってきた石川雅嗣医師は言う。「産科医人生の最後を、人に喜ばれる場で締めくくりたいと思った」。遠軽厚生病院産科病棟にて入院中の母親と写す(筆者撮影)

「僕は、悔いなく産科医人生の最後を締めくくることができる場を探していたのです。そのタイミングが、たまたま遠軽町のピンチとぴったり合っていただけです」

医局という後ろ盾がなく個人としてやって来た医師には、周囲に、自分で実力を示さなければならないというプレッシャーもある。

勝負の始まり

2016年11月、遠軽厚生病院の分娩室に、石川医師の介助で再開第1号の赤ちゃんが生まれる。

「1年2カ月ぶりの産声」

喜びを伝える新聞や町の広報紙。しかし石川医師にとって、それは勝負の始まりだった。

高校の制服などを扱う洋品店「さかえや」を営む小野さん一家。遠軽厚生病院で2人目の子に恵まれたばかりだ。分娩が早く進みやすいので、2人目以降を産む女性は特に地元で産みたいと思う(筆者撮影)

土日も年末年始もなく、休暇は1カ月に1度程度という生活が続いたが、ここで何か起こすわけにはいかない。しかし医師がどんなに注意していても、分娩には、いつ何が起きるか読めないところもある。救急搬送を出したら、遠軽厚生病院から北見、旭川、名寄の高度医療施設まで1時間から2時間かかるということも、医療過疎の地で働く医療者にとっては大変なストレスである。

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