実は遠軽町にも、分娩を扱う唯一の施設である遠軽厚生病院から産婦人科医がひとりもいなくなってしまった時期があった。その時、遠軽町は隣接する湧別町、佐呂間町と遠軽地区地域医療対策連携会議を設立して大胆な医師募集作戦に出た。全国の産科医にダイレクトメールを発送したり、首都圏を走る京浜東北線を1台丸ごと「医師募集」の中吊り広告で埋め尽くしたりしたのだ。
さらに『週刊文春』と『週刊新潮』に、広告記事を掲載した。記者会見も開いて、中吊り広告が吊られた車内で吊革につかまる町長の写真を撮らせて大手新聞の記事にもなった。そして一連のキャンペーンにより産科医2人が赴任した今も、3人目の赴任を目指して遠軽町は医師募集を続けている。
遠軽町町長・佐々木修一氏たちのこの奮闘は2015年春に始まった。町長の高校の先輩にあたる遠軽厚生病院院長・矢吹英彦医師が「話したいことがある」と言ってきたのだ。
「そういうときは普通、いい話ではないよね」
佐々木町長は振り返る。案の定、矢吹院長は、町長室に入るやいなや産科医が大学へ引き揚げると言った。日本の病院の大半は特定の大学の医局から医師を派遣してもらうことで成り立っている。
3人の産科医で年間約350件もの分娩を扱っていた
当時の遠軽厚生病院は小さいながらも新生児集中治療室(NICU)があり、3人の産科医で年間約350件もの分娩を扱っていた。遠軽町民の大半がそこで産んでいただけではなく、その3分の1は、出産できる施設がない周辺の市町村から来た妊婦が占めていた。
北海道庁は、この病院を地域の要と考え「地域周産期母子医療センター」に指定している。2014年に道が独自に作成した医療計画では、「優先的に産婦人科医師の確保を図る地域周産期センター」のリストにも名前が挙がっていた。
しかし、派遣元の旭川医科大学は3人中2人の医師を引き揚げると言ってきた。医局員が減少し旭川医大自身が立ち行かなくなったためで、大学としても苦渋の決断だったのだろう。そして、この決定を受け、残り1人の医師も退職して別の病院に勤務することを希望したため、結果的に、遠軽厚生病院は分娩をまったく取り扱えなくなった。
宙に浮いてしまった約350件の出産については北見、旭川など遠方の産科に行くしかなくなり、車で1時間ほどかかる道のりは、妊婦や陣痛の始まった女性には覚悟を強いた。冬になれば氷点下20度程度になる地域で、路面凍結によるスリップ事故や吹雪も心配である。
佐々木町長は遠軽厚生病院を頼りにしてきた湧別町、佐呂間町の町長とともに旭川医大、北海道庁、そして霞が関にも出向いて助けを求めたが、光は見えなかった。それどころか、行動する中で町長たちがよくわかってきたのは、「日本の産科医不足は、本当に深刻だ」ということだった。
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