国境の川を渡ってきた脱北者が語ったこと

「川のほとりで父の弔いをした」

 4月12日、脱北者のほとんどが、国境の川を越えて北朝鮮から逃れている。ソウルにたどり着いた脱北者に、話を聞いた。写真は北朝鮮人民軍に在籍していたチョン・ミンウさん。ソウルで2017年8月撮影(2018年 ロイター/Kim Hong-ji)

[ソウル 12日 ロイター] - 脱北者のほとんどが、国境の川を越えて北朝鮮から逃れている。ソウルにたどり着いた脱北者に、話を聞いた。

川で命を落とした父

ソン・ビョクさん(48)は、プロパガンダ作品のアーティストだった。父親は、2000年に図們江を渡ろうとして溺れて死んだ。ソンさんは2001年に北朝鮮を脱出するとき、家族の写真を持ってきた。

「(2000年の)8月に、食べ物を探して故郷を出た」と、ソンさんは最初に脱北しようと試みた当時を振り返る。

「私たちの町は内陸部にあったので、川の水位はどこが高くて、どこが低いのか分からなかった。その当時は知らなかったが、そのとき川は、雨の多い季節で増水していた。それでも渡らないとだめだと思った。

「中国に渡って、食べ物を手にすることしか考えられなかった。服を脱いで縛り、そのひもで体をつないだ。父には、離さないように言った。川の中ほどまで来たときに、急にひもが軽くなり、振り返ると、父が流されていくのが見えた。

「私は慌てた。父は水にのまれかけていた。私は大急ぎで北朝鮮側に戻り、国境警備兵に父を助けてほしいと頼んだが、彼らは、なぜお前は死なずに逃げてきたのか、と言うだけだった。私は手錠をかけられ、連行された。8月28日のことだった。

「私は、会寧(フェリョン)で保衛省(秘密警察)の拷問を受けた。その後、清津(チョンジン)の強制収容所に4カ月入れられた。釈放後、私は生き延び、生き続けなければならないと思った。

「再び脱出を試みる前に、故郷の家に戻り、家族の写真を持ってきた。もし脱出しようとして死ぬことになっても、少なくともこの写真を持っていたいと思ったのだ。

「父を見つけることはできなかった。韓国に到着後、2004年に中国に戻り、川のほとりで父の弔いをした。心が、まだ痛む」

次ページ母親から贈られたコート
関連記事
トピックボードAD
人気連載
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
0/400

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • いいね!
トレンドウォッチAD
市場縮小が止まらない<br>生き残りへもがく製紙業界

紙の国内市場は8年連続のマイナスが必至。ペーパーレス化、原料高で苦境に。三菱製紙は最大手・王子ホールディングスの傘下へ。国内はさながら撤退戦。活路は海外市場か?