国境の川を渡ってきた脱北者が語ったこと 「川のほとりで父の弔いをした」

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キム・リョンヒさん(49)は、平壌出身。脱北する考えはまったくなかった。2011年に肝臓治療のため中国に渡ろうとしたが、ブローカーにだまされて韓国に連れてこられたという。北朝鮮に帰国したいが、それは韓国では違法行為になる。

「娘に会えないことより、両親に会えないことの方がつらい。両親は私の全てだった。最初の何年かは、両親のことを考えるたびに、息が苦しくなった。

「弟が、両親と平壌で一緒に住んでいる。母は片方の目が見えない。帰国がかなう前に両親が死んでしまうことを一番恐れている。

「娘とは、手紙や写真をやり取りしている。中国に住むいとこが仲介してくれる。娘の名前は、イ・リョングム。1993年2月15日生まれ。ここに来て一緒に生活してほしいとは思わない。

「娘は小さいとき、テコンドーを習っていた。対韓国の諜報活動に加わりたいと言っていた。恐れを知らない子だった。テコンドーを習ったのも、韓国に対する諜報活動に加わりたかったからだ。

「だから、娘が料理人になったと聞いた時は本当に驚いた。送ってくれたビデオの中で、理由を説明してくれた。私が去った後、彼女は平壌の父親の元に身を寄せて、父親のために料理をしていた。家庭で私の役割を穴埋めするために、シェフになろうと決めたと言っていた。

「それを聞いて、悲しかった」

(文:Seung-Woo Yeom and Hongji Kim
翻訳:山口香子、編集:伊藤典子)

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