「ホームレス路上訪問活動」がやっていること 新宿の「おっちゃん」たちとの出会いと思い出

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「せめて自分がここに住むなら何かしなければ」。その思いで始めたゴミ拾い活動。でも、そこに「いる」だけのことが難しい。彼は、私たちが夜回りで訪ねてくるのを嫌がって話せない日がある。自分が住んでいる前のビルの人たちに、夜に人が集まって話をしているのを見られると立ち退きを迫られるのではないかと心配しているからだ。

だから、工藤さんには夜回りとは別の日に会いに行って、これからどうするかじっくり話をして、「じゃあ今週はお味噌汁渡すだけにしておくね」などと決めている。実際に、そのビルの1階のお店の女性店員が閉店後にドアをちょっと開けてその間から顔を出して、私たちの様子を覗いていたこともあった。その表情は、まるで汚いものを見るように不快感を露わにしていて、今にも怒り出しそうだった。一緒に見ていた男性ボランティアは、その人を「鬼」と表現していた。

初めて会ったホームレスの印象で、その後のホームレス全体の印象が決まってしまうことがあるかもしれない。この女性の場合にも「何してるんですか?」の一言があれば、もしかしたら何かが変わっていたのかもしれない。しかし、ほとんどの人たちは話しかけることなどしない。もしこの女性店員が声をかけていたら、自分から何かをする工藤さんのような立派なボランティアの存在を知ることができたのに。工藤さんのダンボールハウスと女性店員が働く11階建ての商業ビル。まだまだ壁は厚い。

新しくなったベンチ

新宿駅周辺には多くのベンチが設置されている。誰でも利用可能だ。しかし夜になると、そこは使っていい人と使ってはいけない人がわかれる。昼間に使っているとわからない。よく見ると、駅近くのベンチは真ん中に仕切りがつけられている。路上のおっちゃんたちが寝転ぶことを禁止する狙いだ。地下道には、座り込みを見張るための防犯カメラが50mおきにつけられている。カメラで座り込んだおっちゃんを見つけると、すぐに警備員が注意しに来る。雨宿りができて寒い日には暖を取れる場所は少ないのに。

「昔はここダンボールハウスばっかだったんだ。俺もここで寝てたんだけど、突然蹴られたことがある。怖いよ。通行人はダンボールの中の人間の顔が見えないから、中で寝ているのは自分らと同じ人間とは思ってねえんだと思うよ」。金井さんは通行人に目を向けながら話した。私たちが便利だと思って使う動く歩道やコンクリートで仕切ったきれいな花壇や植木。ダンボールを敷かせないための工夫なのだ。

13か月通って、「こんばんは」、「調子どうよ」、「じゃまたね、おやすみ」。この声かけを必ずするようにしている。私は「おやすみなさい」が何となく好き。その日暮らしのいつも1人で寝ているおっちゃんたちには、「おはよう」も「いってらっしゃい」もない。

駅前で寝ることができるのは、終電が終わってシャッターが閉まった夜中から始発までの間。警備員が乱暴に揺り起こす場合もある。声かけは「おはよう」というもんじゃない。「ここでの居眠りは禁止です」という駅のアナウンスが流れ、「どいてください」で朝を迎える。家族でするような会話が一切ない。だから眠る時に家族に言うような「おやすみなさい」が好き。

目を凝らして新宿の街を眺めてみると、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けた整備が着々と進んでいる。「きれいになってよかったね」では済まされない。整備されたということは、路上のおっちゃんたちの居場所がなくなり、住めなくなってしまった人がいるのだ。路上にあったおっちゃんたちの居場所が今、急激になくなりつつある。

私も参加した「スープの会」は、平成29年度「東京都共助社会づくりを進めるための社会貢献大賞」に選ばれた。都知事が自ら表彰状を渡す。スープの会を認めた以上、2020年に向けた「排除」の傾向を見直すきっかけになればいい。

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