「ホームレス路上訪問活動」がやっていること 新宿の「おっちゃん」たちとの出会いと思い出

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

自分たちができることをする。おっちゃんも私たちも、「喜んでほしい」と思っていることは一緒だった。みんなで準備したお花見には、支援をする側とされる側という壁はなくなっていた。誰かのために何かをする、それを嬉しいと思うのは、どこで暮らしていようと同じなのだ。

出会いを紡ぐ

「昨日までは 知らない同士 今日から二人 恋人よ 道をゆけば 世界はゆれる 愛する貴方と 私のため」

本記事の最初に「オー・シャンゼリゼ」の1番の歌詞を紹介した。この歌の3番は、声をかけたあなたは、昨日まで知らない人だが、今はもう知り合い。これから一緒に歩いていけば、世界はゆれる。あなたと私のため。私は「愛する貴方と私のため」という言葉が、一番大事なポイントだと思う。人に寄り添う時、人は「私のため」を忘れてしまいがちだ。現状を知れば知るほど「自分」が消えてしまい、相手との関係もこじれていく。愛する貴方と私のため」。「普通の関係」とは、そういうものだ。

「私たちボランティアから食べ物や衣類をわけ与える。それがホームレスへの支援活動なのだ」と考えていた。しかし何度も通ううちに増えていくおっちゃんたちからの贈り物。「こちらがあげる」というばかりではないのだ。ホームレスといっても、決して受け身で施しを受けるだけというわけではない。

『想像力欠如社会』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

23年前、新宿の路上のホームレス支援では、ものや食事の支給が多かった。配るだけの支援は「あげる側」と「もらう側」という避けられない溝を生み、多くの団体が支援を続けることが難しくなっていった。そんな中、屋根や食料を用意するだけではない人との出会いを紡いできたスープの会。お互いに大事にしてきた土曜日の夜の時間。無口なおっちゃんたちが、だんだんと身にまとう鎧をはずしていく姿が贈り物に表れている。見方を変えると、自分の気持ちを素直に表現できる場所がこの活動にはあるという証拠でもある。

路上訪問に通うようになって、ボランティア活動は一方的にあげることだと思っていた私の考えは完全に崩れていた。最初はなんと傲慢な考え方をしていたこととだろうか。おっちゃんたちには、ものをくれる人もいれば、体験を話してくれる人もいる。あげたり、もらったり。これが普通の人間関係なのだ。

「ホームレス」と聞くだけで「怖い、臭い、汚い」と感じる人は多いに違いない。そして、人それぞれのホームレスと関わった最初の経験が、ずっとホームレスの人全体のイメージに影響しているかもしれない。しかし、私がおっちゃんたちに会いに行ってわかったことは、人と人が関わりを持つことに特別難しいことはないということ。私が土曜日に新宿へ行く目的は、金井さんや田村さんに会いに行くこと、元気なのかと近況を確かめること、私自身の近況を聞いてもらうこと。何より、自分が自分としていられる場所だということ。

「今度は何を話そうかな」。そんなことを考えながら、今日も私は新宿へと向かう。「オー・シャンゼリゼ」を口ずさみながら。

松本 日菜子 上智大学文学部新聞学科 学生

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

まつもと ひなこ / Hinako Matsumoto

1995年8月生まれ東京都出身。2018年4月現在、4年生。
 

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事