「赤報隊事件」30年、謎はどこまで晴れたのか

いまだに犯人は闇の中ではあるが…

「真実」はわかりやすく、すっきりと溜飲を下げてくれるほど親切ではない(撮影:尾形文繁)

1987年5月3日憲法記念日。朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者2人が殺傷された。目出し帽をかぶった何者かは、一言も発することなく問答無用で散弾銃を発射し、当時29歳だった小尻知博記者は死亡、当時42歳の犬飼兵衛記者は危ういところで命はとりとめたものの重傷を負ったのである。

一連の事件はすべて未解決のまま

「赤報隊」と名乗った犯人は、この事件を含め、約3年にわたり襲撃事件や脅迫事件を実行した。朝日新聞本社銃撃、静岡支局爆破未遂、名古屋にある単身者寮での発砲、そして中曽根康弘や竹下登への「処刑予告」を含んだ脅迫事件など8件。だがそれらは全て、2003年3月に時効となった。記者が日本国内で政治的テロによって殺された唯一の事件の犯人は、闇に消えてしまったのである。

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事件発生当初から、朝日新聞は特別取材チームを編成し、犯人を追い続けてきた。仲間の命を奪われた記者たちは、必死の取材活動に身を投じることとなった。ただただ情報を追い、犯人に迫り、その全てを報告書に書く。記事を書くことではなく、犯人を追うこと。それが彼らに与えられた使命であった。記者でありながら記事を書かない。記者として辛く苦しい作業でありながら、記者でなければできないことでもある。著者の樋田毅氏は、なくなった小尻記者の先輩にあたり、この取材チームの一員だった。時効成立により取材チームが解散した後も取材を続けてきた。その厖大な取材ノートをもとに、この本は書かれた。

「誰が犯人だったのか」はわからずじまいである。警察当局が延べ124万人もの捜査員を投入しても、結局事件は迷宮入りとなった。したがって本書も安易に犯人像を推理しほのめかすようなことは一切していない。犯人は「わからない」と述べている。だが、それでも、事件から30年以上にわたって取材され記録されてきた事実の重みはかわらない。あの事件がなぜ、どんな背景をもとに起こったのか。記録し残していくことの重みは、むしろ迫力を持って迫ってくる。

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