Web漫画で花を開かせた男の諦めない生き方 洋介犬は20年かけてオンリーワンに到達した

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広告代理店を通して、企業から依頼された漫画を描く。たとえば、

「保険会社の保険を紹介する漫画」

「子供サッカークラブのカードイラスト」

「会社社長の立身出世伝」

などを描いた。

「広告系の仕事は単価は安いのですが、安定感はありました。なによりアンケートの人気ランキングに左右されないので、気楽です」

やりがいも感じた。4コマ雑誌で漫画を描いているときはまず褒められなかった。ファンレターもめったに来ない。

広告系の仕事では、

「あなたのおかげで売り上げが伸びました。またよろしくお願いします」

などと感謝される。社会貢献しているという自覚ができた。

ただし、非出版系ならではの非常識な部分もあった。

「『●●先生の絵柄パクって描いてください』とか平気で言われますね。著作権をまったく意識していない会社も多いです。

またリテイク(書き直し)が多いのもつらいですね。何回も書き直された挙げ句、社長が気に入らないという理由でボツになったこともありました」

2年ほどは広告系漫画を描いて生活をしていた。そして再び行き詰まった。漫画家を廃業することも考えた。

すると、奥さんや知人から

「どうせ辞めるのなら、今まで封印していたホラー漫画を描いてみたら?」

と勧められた。

「それで描くことにしたんですが、自分を追い込まずに軽い気持ちで描くために、読み切りの1ページ漫画にしました。発表する媒体も個人サイトです」

アップすると1日3万ヒットを超える非常に多いアクセス数を記録した。「これはいける」と思った。

出版社に持ち込むと「書籍化しましょう」と言われた。当時は人気ブログを書籍化するのが流行っていたのも追い風になった。

2007年に『誘怪犯』、2008年に『誘怪犯 ~紅~』が発売された(どちらも、うえやま 洋介犬名義)。

その後、講談社など出版社から、うちで描きませんか?と誘いを受けた。そこで初めて商業として成り立った。

「ホラー漫画を生業にしてからは楽しくて仕方がないですね。正直、なんでもっと早く転向しなかったんだろうと思いました」

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