「ホラー作品で注目されましたけど、実は小学校の頃は怖いのめちゃくちゃ苦手でした」
日本テレビで放送されていた「怪奇特集 あなたの知らない世界」が始まると、ギャーと叫んで部屋を飛び出していたという。
「ホラー漫画家さんって実は怖がりの人多いですよ。怖さがわかっているからこそ、怖い作品が作れるんだと思います」
幼少期は絵を描いていたが、小学校に入学してしばらくは途絶えていた。小学5年生の頃、ノートに目の絵を落書きしているときにふと「これ、いけるな」と思った。
大学ノートに漫画を描きはじめた
その日以来、来る日も来る日も大学ノートに漫画を描きはじめた。
いつの間にかホラーは大の苦手から大好きに変わっていたが、描いている漫画はホラーではなかった。『AKIRA』(大友克洋)に強く影響を受けたサイバーパンク的な漫画を描いていた。
「一部の女子には漫画クンって呼ばれてたみたいです(笑)。隣のクラスから漫画読ませてよって人が来るくらいの人気になりましたね」
中学生になって雑誌『ムー』(学習研究社)などオカルト本を読みはじめた。悪魔学などにハマった。信じすぎて、家族に馬鹿にされたりしたという。
「ただそれでもホラー漫画を描こうとは思わなかったんですよね。ホラー作家に対してリスペクトが高くなりすぎたんですね。封印してしまいました。ギャグ4コマ漫画を描いていました」
高校では漫画研究会に入り、本格的に原稿を仕上げはじめた。高校卒業後は専門学校に入学した。本当は、漫画の専門学校に行きたかったが、両親の反対を受けマスコミ系の専門学校に入学した。
「18~19歳のときに『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)の新人賞に引っかかりました。ただ連載にはいたりませんでした。在学中に、竹書房の4コマ漫画雑誌でデビューしました」
その後は複数の4コマ漫画雑誌で、ギャグ漫画を連載した。24歳で結婚し、25歳でアルバイトを辞めて専業の漫画家になった。
「食えてはいたのですがだんだん先細りになってきている気がしました。『僕はじじいになっても漫画家できているのかな?』って、ことあるごとに思って、自分の先行きが怖くなりました。
死神に、『お前50歳で死ぬよ』と宣告されたら、むしろ楽だったかもしれません。80歳まで生きる可能性があるとすると、40歳でもまだ折り返し地点ですからね。どうしても不安になります」
洋介犬さんは、出版系の仕事を一旦辞めて、企業の広告系の漫画を描くことにした。
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