「国体化」した対米従属が日本を蝕んでいる 米国は日本を愛しているという妄想

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──驚きとは。

内容は考え抜かれたものだった。戦後の天皇制、あるいは民主主義社会における君主制一般が、今後の社会の中でどのような形でポジティブな意味で存続できるのか。そこまでを射程に入れた思い切った発言だった。言葉は穏やかなのだが、にじみ出る雰囲気から何か非常に激しいものを感じた。その激しさはたぶん現状への憤りではなかったか。天皇の言葉が特別な重みを持ってしまうのは、今が歴史的に見て国難の時代だからだ。

日本には独立する意思が足りない

──「戦後の国体」は日米安全保障体制が裏打ちしている?

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「戦後の国体」の物理的基礎は日米安保体制にある。だが、軍事的属国化が奇形的な対米従属を必然化するわけではない。たとえば同じく敗戦国のドイツは、主体性を保っている。日本の対米従属の本質は、独立国たらんとする意思がないことだ。意思がないのは、従属していると思っていないからだ。

従属を無意識下に追いやったのは、あの戦争の死者に対するやましさゆえかもしれない。鬼畜米英、一億火の玉と言っていたのに、スムーズに米国の占領を受け入れた。その変節を正当化する物語が必要とされた。米国と対立して殺し合いをしたのは「不幸な誤解」だった。

マッカーサーはじめ米国人は私たちに敬愛の念を持っている。戦争は一部の頭のおかしい軍人がしたことだから、私たちは変節していない──そういうストーリーが無意識的に形成された。

──日本人には今や国家観も乏しいのですか。

国家も人間組織の一つだが、ほかの組織との決定的違いは、暴力行使の権限を持っていることだ。言い換えれば、国家から「暴力」、つまり警察と軍隊を引き去ると国家ではなくなる。

ところが、日本人で国家の本質は暴力だと理解している人は少ない。国家とは本来恐ろしいものなのだ。だが日本人は、国家は優しく包み込んでくれるものだと思っている。国体というと、何かおどろおどろしいイメージを想起させ、戦前の怖い国家体制を連想させるかもしれないが、むしろだからこそ、思い出さなければならない。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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