大谷翔平が今も大切にする、父の「3つの教え」 小学2年生で野球を始め、父が監督兼コーチに

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岩手県奥州市と胆沢郡金ケ崎町の境界を流れる一級河川の胆沢川。その河川敷にあるグラウンドでは、小学生だった翔平の打球が川によく飛び込んだという。さらには、リトルリーグ最後の年、6イニング制で行われた東北大会決勝では17奪三振の圧巻のピッチングを見せた。それらは紛れもなく彼の実力を証明するエピソードである。

ただ、試合における結果だけに目を奪われがちだが、その裏には子どもながらの日々の努力があり、父親に認められたい、あるいは周囲の期待に応えたいという内なる思いがあった。「父親に怒られるのも嫌でしたしね」。翔平はそう茶化してみせながらも「やるべきことはちゃんとやっていました」と言葉を加えるのだ。

ホームランを打ってホームへ帰ってきた大谷をシモンズが歓迎している(写真:ロイター/Kelvin Kuo-USA TODAY Sports)

そして、彼は少年時代の野球をこう語る。

「部員は少なかったですし、ウチのチームはアットホームな感じで、野球を楽しくできました」

父と息子の野球における交換日記

父と息子。

その関係は、ミニサイズのキャンパスノートでもつながっていた。表紙に「野球ノート」と書き込まれたノートは、父と息子の野球における交換日記のようなものだった。徹さんがその日の評価やアドバイスを書き、翔平は試合での反省や今後の課題を記した。「たぶん小学校5年生ぐらいまで続けましたので、2~3冊にはなったと思います」。そう話す徹さんは、今でも実家に残る1冊を見つめながら当時のやり取りを語り始めた。

「試合から帰ったら、今日はこういうプレイができた、3回まではいいピッチングができた。あるいは、高めのボール球に手を出したとか、ボール球を打ってフライを上げたとか。そういった試合での良かったことや悪かったことなどをノートに書かせていました。そこで大切なのは、悪かったときに次に何をすれば課題を克服できるのかを考えて行動に移すことだと思っていました。エラーや三振はある。その反省から自分がどういう取り組みをしていくのか。それらを字で書き残すことによって、しっかりとやるべきことを頭に入れてほしかった。つまりは、練習における意識付けですね。野球ノートを始めたいちばんのきっかけは、そこにありました」

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