朝日新聞は「反権力ごっこ」?メディアの限界 田原総一朗やアインシュタインに学ぶこと
ただ、正直に言うと、朝日新聞的リベラルや、なんでも反権力というスタンスに疑問を持つようになった。大学生のとき、毎日新聞で2年ほどアルバイトをしたのがきっかけで、朝日・毎日・読売・日経・ファイナンシャルタイムズの5紙を同時に購読し読み較べていた。その結果、良いものは良い、悪いものは悪いと是々非々で論じるべきだ、そういうジャーナリズムが健全だ、と思うようになった。
そして、いまはもう、朝日新聞を購読してはいない。たとえば、『朝日新聞がなくなる日 – “反権力ごっこ”とフェイクニュース』という本がある。この本のタイトルをみて、共感する自分もいるし、複雑な心境になる。
メディアとは、ジャーナリズムとは、常になんでも反権力で、一方的な視点でモノゴトを報じればいいのか。反権力というひとつの視点、ひとつの立ち位置に、公平性はあるのだろうか。反権力に偏りすぎて、読者は辟易しているのではないか。そんな思いがある。
客観的事実はない
1987年「朝まで生テレビ!」がはじまった。当時、自分は高校生で、左派と右派の論客が激しくバトルする番組に驚き、熱中した。テレビに向かって「何言ってんだ!」とヤジを飛ばしたり、大島渚監督の「バカヤロー!」発言に拍手を送っていた。私と同世代には、そんな人、多いんじゃないだろうか?
「朝まで生テレビ!」といえば、田原総一朗氏。彼は、「いわゆる客観的事実というのは、厳密にいうとないのだ」(『ぼくだけの取材ノート』p235〜236)と書いている。
テレビカメラが学生の側にいると、「客観的」に見て、機動隊という国家権力が「悪に」見える。
では、その逆に、カメラが機動隊のうしろにいると、どうなるのか?