野球経験がない男がスカウトに転身した人生 米大リーグ・ドジャースの日本担当を務める

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「とにかく、いろんな人にいろんな質問をしましたね。教えてもらうときは『過去に自分が何をしていた』というのは、あまり関係がありませんから。売り上げにはあまり貢献できなかったかもしれませんが、野球にもっとエンターテインメント性が必要だと肌で感じました」。当時のことを思い返し、鈴木はすがすがしい表情で言った。

仕事ぶりが次の仕事につながる

しかし、2015年12月に退職を決断することになる。家庭の事情で、東京へ移り住まなければならなくなったからだった。

2016年になり、次の仕事を探していた鈴木に、ロサンゼルス・ドジャースから「日本担当のスカウトを探している。興味はないか?」と声がかかった。

採用が決まった後、「なぜ、私に?」と鈴木が問うと、採用担当者は答えた。

「考える余地なんか、なかったよ。君となら、一緒に仕事をすることが想像できた。君しかいないと思ったよ」

それを聞き、鈴木は「これまでの11シーズン、国際担当スカウトとしてやってきたことを見ていてくれたんだ」と、うれしく思ったという。

プロ野球にかかわる仕事に限らず、スポーツビジネス業界では、既存のポストに空席ができたり、新たなポストができたりしたとき、「誰かいい人材はいないか?」という話になることが多い。公募することはまれだ。

そこで声がかかるのは、採用担当者が頭に思い浮かべる人脈リストの一番上に名前がある人だ。鈴木の場合がそうだったように。

鈴木 陽吾(すずき ようご)/1970年12月生まれ。早稲田大学を卒業後、USスポーツアカデミー大学院でコーチングを専攻。神奈川県横浜市で体育教員を務めた後、2004年にオリックス・ブルーウェーブで国際担当となる。大阪シティドームでの勤務を経て、2015年度で退職。2016年度からはロサンゼルス・ドジャースで日本担当顧問として日本人プロ野球選手のスカウトやドジャース傘下の外国人選手の日本への紹介などを担当している(編集部撮影)

若い頃の鈴木は、自分を売り込んでいた。世界陸上の通訳をしたときも、トライアスロンのナショナルチームにかかわったときも。

だが、オリックス・ブルーウェーブ(当時)やロサンゼルス・ドジャースには、あえて自分を売り込むことをしなかった。普段の仕事ぶりが、次の仕事につながったのだ。

「『私はこんなことができます』と自分を押し売りするのが嫌なんですよ。縁のある人から声をかけてもらって、一緒に仕事をするほうがいいじゃないですか」。鈴木はそう言って、ニッコリ笑った。

「スポーツ界で貢献できる人間になりたい」という目標を原点に、英語を学び、スポーツについて勉強した。人生を人と比べず、好きでやりたい仕事のために一歩踏み出した。そうしてやるべきことをやっていたら、チャンスが広がった。そして、準備ができていたから、そのチャンスをつかむことができたのだ。

鈴木は「人生って、良くも悪くも、自分が思うようにはいきませんよね。10年前の自分はドジャースで働くことなんて、夢にも思っていなかったんですから」と笑った。そして、こう続けた。

「あまり先のことを考えすぎると、自分の可能性や選択の幅を狭めてしまう。人生はレールの上を走るようにはいきません。想定外になることを想定しておく。そして、そうなったときに対処できる能力を高めておくことが必要だと思います」

彼の歩んできた道そのものが、まるでこう問いかけているようだ。

「好きな仕事にたどり着くために、やれることをすべてやっているか?」と。

佐伯 要 スポーツライター

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さえき かなめ / Kaname Saeki

和歌山県出身。スポーツメーカー勤務を経て、フリーライターとして活動。『週刊ベースボール』『大学野球』『ベースボール・クリニック』(以上ベースボール・マガジン社)などの野球専門誌を中心に執筆。

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