野球経験がない男がスカウトに転身した人生

米大リーグ・ドジャースの日本担当を務める

スポーツの強い国へ行って、勉強したい。将来はスポーツ界で英語を生かして働きたい――。自分は家業を継ぐ立場にあったが、その思いは断ち切れなかった。

大学時の決断が人生のターニングポイントになった(編集部撮影)

大学3年の春休み。鈴木は父・進吾さんに自分の人生をプレゼンテーションした。

レポート用紙に、自分の人生の目的、留学にかかる費用、その費用を自分で貯めるための計画などをまとめ、父に見せた。

「スポーツ界で貢献できる人間になりたい。だから、家業は継げません。そのために海外へ留学したい。資金を出してくれなんて、虫のいい話はしません。ぜひこれを読んでください」

進吾さんは「やりたいことがあって、ここまで考えているのに、反対するのは親じゃない。頑張ればいい」と背中を押してくれた。

就職活動をせず、卒業したら海外へ留学する。そう聞いた周りの友人からは「なぜ? もったいない」「人生をなめているんじゃないか」という声もあった。だが、意志を変えることはなかった。

「就活をしないでフラフラしている人に見えたのかもしれませんね(笑)。でも、自分にはやりたいことがあった。だから、周りの人と比べる必要はありませんでした」

自分で自分の道を切りひらく

1993年3月に大学を卒業後、まずはスポーツクラブのインストラクターや家庭教師、引っ越し業者などのアルバイトをして、4年間で約600万円の留学費用を貯めた。

留学先にはアメリカ・アラバマ州にあるUSスポーツアカデミーを選んだ。そこには日本人の留学生がほかにおらず、英語漬けになるために、あえてその環境を選んだ。1997年、26歳のときに渡米。コーチングやスポーツ心理学、スポーツマネジメントなどを学んだ。

日本の大学において、スポーツマネジメントやスポーツビジネスを学べる学部の設立がブームになるのは、その後のことである。当時の日本は、その分野に関してアメリカから10年遅れていると言われていた。鈴木には「私が留学から帰ってきても、日本ではまだ最先端の立場でいられるだろう」という読みがあった。

1999年に帰国。その頃、USスポーツアカデミーで職員を務めていたデビッド・スナイダー氏が日本でスポーツマネジメント会社を立ち上げた。鈴木は「とにかくスポーツ業界に入りたい」と、そこでインターンとして働き始める。

2000年には、大学時代にお世話になった佐々木先生の紹介でトライアスロン日本代表チームの飯島健二郎監督と面会。その場でこう訴えた。

「トライアスロンの経験もあるので、通訳として使ってください。自分の貯金をはたいてでもやりたい。ぜひお願いします」

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