40歳「廃道」に鉱脈を見出した男の快活な人生

「嫌」を極力排除し自分だけの道を突き進む

平沼さんは1977年に千葉県松戸市に生まれたが、人生の記憶はまもなくして移った横浜市から始まる。サラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれた一人っ子。旅好きな両親の影響を強く受けて育った。

「両親は高級ホテルより民宿が好きで、土地ごとの自然に触れるような素朴な旅を好んでいました。観光というより、日常とは違う景色を楽しむという感じですね。間違いなく私の趣味のきっかけだったと思います」

小学生の頃から自転車が大好きで、暇があれば近所の鶴見川の河川敷を走ってばかりいた。親に怒られない時間までに戻れる距離を計算しながら、できるかぎり遠く、サイクリングロードを上流のほうへこぎまくる。なぜか海に向かう下流方面には一度も行かなかった。その頃から山へのあこがれがあったのかもしれない。が、嗜好が完全に開花したのは小学6年の途中で秋田県に引っ越してからだ。

秋田県での学校生活に楽しい思い出はない。言葉や雰囲気が異質な平沼さんはクラスで浮き、中学生の頃になると陰湿な嫌がらせを日常的に受けるようになった。「いちばんつらかった」と振り返るこの時期は、横浜ではひょうきんだった少年を引っ込み思案で根暗、人と付き合うのを怖がる性格に変えた。

「逃げた先が、山だったんだと思います」

心を解放する場所は学校ではなく山だった。秋田に引っ越したばかりの頃にできた2人の友達と自転車で近所の山々の林道を回る。「山さ行がねが(山に行こうぜ)」と集まり、季節のいいときは2週間に1度くらいのペースで荒れた道を探索した。

「林道は下枝を切ったり幹を伐採したりするときにしか使われないものが多くて、5年や10年放置されていることがよくあります。そういうあまり管理されていない道をマウンテンバイクで突破するっていうヒロイックな遊びにとりつかれたんですよね。俺たち最強のトリオだなって(笑)」

自分たちだけの道を突き進む楽しさは学校生活のストレスを癒やしてくれた。高校は地元で一番の進学校に入ったが、「勉強は好きだけど学校は嫌い」という状態が続き、出席日数不足で留年。卒業したあとはストレートで地元の秋田大学に進学したが、今度は学業に目的が感じられなくなり1年で中退してしまう。

「私は苦労するのが嫌で、逃げてばかりいました。学校でいじめられるのは嫌だ。大学に入ったらもう勉強も嫌だって。そうして逃げた先が、山だったんだと思います」

将来のことなんて考えたくないし、やりたい仕事も思い浮かばない。しかし、実家で暮らしながらも親の収入に頼る年齢でもないので、学生時代から続けているコンビニエンスストアのバイトだけは続けていた。後々フランチャイズ店の社員となり店長となったが、この仕事を一生続けていくビジョンは持てなかった。立場が変わるたびに激務になっていったが、学校に比べたら耐えられたから続けていたという程度のことだ。そして、たまったストレスをはき出すようにたまに山に行く生活。生産的なものは何もなかった。ホームページを立ち上げるまでは。

大学を中退してしばらく経った頃、家電量販店にはWindows 98SEパソコンが店頭に並び、インターネットでは個人サイトがはやっていた。以前からゲーム機でインターネットを見ていた平沼さんは、ある日たまたま旧道をテーマにした個人サイトを見つけて衝撃を受ける。

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