「ガザ地区」から初めて出た男性が見た現実

ほかの人たちの暮らしを見なければ…

(写真:ロイター)

筆者はガザに生まれ、育った。父は長年サッカーのコーチをしていて、世界の国々をめぐった話を聞くたびに、自分も旅をしたいという気持ちになったものだ。しかし、2007年にガザは陸・海・空路を封鎖され、それ以来ガザのほぼすべての部分が閉鎖されたままになっている。そのため、現在まで自分の夢は実現していないが、31歳になって、ほんの短い間だけ外に出ることを許された。

国際人権団体で働く私は、出国ならびにセキュリティ研究の研修会への参加、組織の重要な会議、エルサレムまたはラマッラーから車ですぐの所に住む仲間、そして、海外の仲間と会うため、数カ月かけてイスラエル政府に出国許可を求めていた。ところが、ただガザを出るためだけの文書や許可を取得するのに、その都度、面倒なことが起こり、そうこうする間、1月28日にある電話を受けた。

シャンプーや歯磨き粉さえ持ち出せない

それは、パレスチナ自治政府の国民統括部門に所属するという人物からの電話で、出国許可がおり、2日後には国外へ出られるという知らせだった。

縦横25マイル×7マイルという土地から生まれて初めて出ることを考えると、とても不安になり、出発予定日の前夜は眠ることができなかった。ノートパソコンや食品、また、シャンプーや歯磨き粉でさえ持ち出せないということを知ったが、たいしたことではなかった。

そもそもイスラエル政府はパレスチナ人がガザ以外の場所にこうしたものを携帯することを禁止していたからだ。私には学位を得る機会を失い、必要な医療を受けることもできない友人がガザにいるが、彼との話で、この期に及んでも、イスラエルが何の理由も示さずに私の出発をいつでも禁止できるということを知った。

バスがやってくる時間は午前6時だった。私は早起きして暗い中、家を出た。バスが来たとき、私は笑い、そのあと、泣いた。この感情を言葉にすることはできない。それは幸福以上のもので、平和や自由の実感だったのかもしれない。

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