81. 1978年3月、大阪・藤井寺市の三ツ塚古墳から地面を滑らすそり式の古代木造運搬具「修羅」が出土した
82. 樫の巨木が二股になった全長9mのもので考古学者の関心を呼び、その復元と運搬実験を行うことになった
83. 修羅の復元を依頼された西岡は奈良県にある元興寺文化財研究所に保存されていた出土品を調査
84. 結果、古代の技術者が樫が水や衝撃に強い利点に着目したこと、二股の巨木からそりを完成させたことに感心
85. しかし復元用に入手した徳之島産「沖縄裏白樫」は二股ではなく2本の木材であったため継がねばならない
86. 加えて古代の修羅に比べると木質も劣り、伐採のタイミングも悪かったため木が不安定だった
87. 結果、金属のボルトを使って接合することになったが、西岡は「使用ボルトは1本のみ」と主張し学者と対立
88. 学者は2~3本必要と主張したが、修羅が上下に揺れることを考慮すると「ボルトが木を割る」とはねのけた
89. 製作には可能な限り古代の大工道具が使用され、のこぎりを多用せず、斧と手斧で約1カ月かけて完成した
90. 西岡によって復元された修羅は1978年9月に藤井寺市の河川敷で巨石運搬実験が行なわれ見事成功した
宮大工であることのこだわり
91. 西岡の腕は超一流であったが、法隆寺の宮大工であることにこだわり神社仏閣以外は造営しない掟を守った
92. 仕事がないときは田畑を耕し、収入が少なくても清貧に甘んじ、自宅の改築も他の一般大工に依頼した
93. 聖職である宮大工は「民家を建てると汚れる」とされ、建てた者はかつては宮大工から外されることもあった
94. 和服収納に最適な「桐たんす」の製造は江戸時代に始まったが、それを最初に手掛けたのも宮大工といわれる
95. 埼玉県春日部市に今も残る「春日部桐たんす」は日光東照宮建立のために関西から集められた宮大工が元祖
96. 江戸時代、彼らは日光街道の宿場町・春日部に住み着き高い技術を生かして桐の指物や小物を作りはじめた
97. 広島県「府中桐たんす」も江戸中期に寺院建立に訪れた宮大工が石州街道の宿場町に住んだのがはじまりだ
98. 奈良県斑鳩町、法隆寺の西側にある「西里」(法隆寺西一丁目)は「宮大工の里」として知られている
99. 古くから開けた土地で縄文土器や石器も出土しているが、法隆寺作事に携わった大工が多く住んでいた
100. 国内の宮大工は100名前後に減少しているが、その技術は文化庁から「選定保存技術」に指定されている
(文:寺田 薫/モノ・マガジン2018年3月2日号より転載)
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