五輪秘話「日本ジャンプ90年間、挑戦」の歴史 「ぶっつけ本番」で好成績!初メダルは?

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歴然だった世界との「差」を、日本人は痛感させられます。

Q6. 日本人はあきらめたのですか?

いいえ、むしろ奮い立ちました。大会の翌年、強豪国ノルウェーから専門コーチを招き、そこから日本人選手の実力はめきめきと上達しました。

1931年(昭和6)には、国内4番目となる本格的なジャンプ台「大倉シャンツェ」(アプローチ全長100m、今日の大倉山ジャンプ競技場の前身)の建設計画も実行に移されました。

こうした取り組みは、1932年(昭和7)の「第3回アメリカ・レークプラシッド大会」で結実します。

「ぶっつけ本番」で好成績をマーク

Q7. レークプラシッドでは、どんな活躍があったのですか?

北海道余市出身の19歳、安達五郎選手(1913-1999)が8位入賞を果たしました。

安達選手は、前年に行われた第9回全日本選手権のジュニアの部(幼年組)で優勝した期待のホープです。

ただし、レークプラシッドのジャンプ台は、アプローチの長さが約80mと、それまで彼が経験した最も大きい台だった札幌シャンツェの65mより、約15mも長い巨大なものでした(大倉シャンツェの完成はオリンピックの練習には間に合いませんでした)。

そのため、彼にとってはある意味「ぶっつけ本番」の挑戦となりましたが、果敢に挑んだ彼は、勝負となる2本目では全選手中3番目の飛距離をマークする大ジャンプ(66m)に成功し、順位を上げました。

Q8. 札幌大会以前に、ジャンプでの日本人メダリストはいたのですか?

いません。しかし、「あと一歩で金メダル(?)」という一瞬もありました。

それは、1936年(昭和11)「第4回ドイツ・ガルミッシュ=パルテンキルヘン大会」での、ある日本人選手の大活躍です。

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