五輪秘話「日本ジャンプ90年間、挑戦」の歴史

「ぶっつけ本番」で好成績!初メダルは?

今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

Q1. 日本でジャンプ競技はいつから始まったのですか?

スキーの導入と同じ1911年(明治44)です。

1911年の1月、新潟県高田(現・上越市)に駐屯していた陸軍第13師団の歩兵第58連隊の士官と有志14名が、オーストリアの駐在武官レルヒ少佐から、スキー技術の指導を受けたのが日本におけるスキーの始まりです。

この講習で彼らはさまざまなスキー種目を学ぶのですが、じつはそのひとつに、当時欧州で一般的だった「空中跳飛法」(ジャンプ)も含まれていたのです。

日本ではスキーはすぐに人気となり、2月には高田スキー倶楽部(翌年に日本スキー倶楽部と改称)が創設されています。また、レルヒ少佐は翌年には北海道旭川に移り、そこでも熱心にスキーを教えました。

Q2. ジャンプはその後、日本で普及したのですか?

はい。大正期には北海道大学スキー部を中心に技術的研究と実践も進み、専用のジャンプ台も次々と建設されました。

1923年(大正12)に北海道小樽にて開催された第1回全日本スキー選手権大会には、ジャンプ種目が含まれています。

Q3. ところで、ジャンプはいつから五輪の正式種目だったのですか?

「第1回のフランス・シャモニー大会(1924年)」からです。この大会には、日本も参加する予定でしたが、前年の関東大震災による影響で参加を断念しています。

日本人ジャンプ選手の「苦い五輪デビュー」

Q4. 日本人ジャンプ選手の五輪デビューはいつですか?

1928年(昭和3)開催の「第2回スイス・サンモリッツ大会」です。この大会で、北海道大の伴素彦選手(1905-1998)が、日本人で初めてジャンプ競技に出場しました。伴選手は、1926年に行われた第4回全日本選手権のチャンピオンです。

Q5. 初挑戦の結果は?

惨敗でした。伴選手は、当時の日本にはまだなかった世界標準の巨大なジャンプ台にも臆することなく挑みましたが、結果は全選手38人中最下位。

飛距離も、世界のトップ選手が60m前後の記録でメダルを争っていたのに対し、彼は1本目は最短の34mでしかも転倒し、2本目も39mという残念な結果に終わりました。

とはいえ、このときの日本選手団は、伴選手や他競技の選手と監督を合わせてたった7人でした。スイスまではシベリア鉄道を使っての大陸横断に加え、折れやすい桜材の国産スキー板を山ほど担いで、途中スイスの税関で密輸業者と疑われて一時足止めされるなど、選手にはかなりタフでした。

また、スキー板の材質やワックスの知識もなかったことも敗因につながりました。

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