人間の直感は得てしてみんな「裏切り者」だ 良きデータサイエンスは驚くほど直感的
ビッグデータおばあちゃん
ここ数年間の感謝祭をデート抜きで過ごしてきた33歳にとっては、伴侶選びは重要な話題だろう。そしてこの話題をめぐっては、誰もが一家言あるものだ。
「セスには本人並みにクレイジーな女の子が必要だわ」と私の姉は言う。
「そんなバカな! 必要なのはまともな娘だ。バランスをとらなくちゃ」と弟が反論する。
「セスはクレイジーじゃないわ」と母。
「そんなクレイジーな。もちろんセスはクレイジーだ」と父。
それまで黙って聞き役に回っていた物静かで穏やかな祖母が口を開いた。口さがないニューヨーク人どもがしんとなり、この黄色い短髪でいまだに東欧訛りの抜けない小柄な老婆に視線を注ぐ。「セス。あなたには良い娘が必要よ。あまりきれいすぎない娘ね。頭と人当たりがとても良い娘。社交的なら、あなたの邪魔にならないからね。ユーモアのセンスも大事よ。だってあなたにはユーモアがあるから」
どうしてこの老婆の助言は、家族から一目置かれるのか? 何しろ88歳とあって、誰よりも人生経験が豊かだ。うまくいった結婚生活も、いかなかった結婚生活も、山ほど見てきた。そんな歳月のうちに、良い相性を類型化してきた。感謝祭の食卓で最大のデータポイントにアクセスできたのは祖母だった。
祖母はビッグデータなのだ。
本書『誰もが嘘をついている』ではデータサイエンスにまつわる誤解を解く。好むと好まざるとにかかわらず、データは私たちの暮らしにますます重要な役割を果たしており、その傾向は募るばかりだ。新聞にも市況欄がある。企業にも社有データを分析する専門部門がある。投資家もデータを集められる新興企業には巨額の投資を惜しまない。回帰分析や信頼区間の計算を学んだことがなくても、活字、仕事の会議、廊下の雑談などで、データとさんざん向き合うだろう。
こんな趨勢に不安を覚える人も多い。データに怖気づき、まごつき、物事を定量的に理解するのは左脳が発達した少数の英才の特権で、自分など柄ではないと考える。数値を見るや否やページをめくり、会議を切り上げ、話題を変えようとする。
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