ナイキの知られざる誕生秘話はここまで熱い 2018年の今だからこそ響く創業者の言葉
ただし、奇跡を起こすためには幾多の障害を乗り越える必要があったともいえるわけで、たとえば資金繰りの苦労はその典型だ。しかもそれだけでなく、好調な売り上げ実績を軸に良好な関係が保たれていたはずのオニツカとの関係は、やがて決裂しはじめる。
新たに日商岩井とのビジネスを進めようとしていた矢先、オニツカの担当であるキタミが、ブルーリボンから別の代理店に乗り換えようとしていることが判明したのだ。
残念ながら交渉はうまくいかず、結果的にブルーリボンはオニツカから最後通告をたたきつけられることになる。ちなみに、このとき憔悴する著者に手を差し伸べたのは日商岩井のスメラギだった。
「質のいいシューズを作るメーカーは日本にたくさんありますから、そこを紹介しましょう」
そう声をかけてくれたスメラギとの、そして日商岩井との関係は以後も続くことになる。しかし、オニツカという後ろ盾を失った著者が選択したのは、ほかのメーカーを紹介してもらうことではなく、新たなブランドを立ち上げて独自のシューズを作ることだった。
ナイキ誕生の瞬間の貴重な記録
かくして1971年、ナイキが誕生することになる。シューズが完成し、流線型のおなじみのロゴができ、次は名前だ。参考までに書き添えておくと、数十種のアイデアの中から選び抜かれた最終案は「ファルコン」と「ディメンション・シックス」だったのだそうだ。そのどちらかに決まっていたとしたら、現在、そのブランドは存続していただろうか? 少なくとも個人的には、ファルコンなんていう名前のブランドには心惹かれないような気がする。
引用が長くなってしまったが、このやりとりは簡略化することができない。私たちにとっても重要なブランドである、ナイキ誕生の瞬間の貴重な記録だからだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら